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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その四

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その四

林蔵は、家で少し休むと、再び隠密用具のある日本橋大伝馬町の大丸家呉服屋に行き、俳諧師と乞食の衣装を借り、風呂敷に包み、再び外にでた(これは、エゾから西国に入る際に利用するためだった)。

 今回のエゾでの巡見の仕事は、隠密とちがい、幕役の役人としての公然とした任務であったが、役人の姿で駕籠にゆられて江戸を出立した。50をだいぶすぎてもまだ元気な林蔵も、駕籠に乗れてうれしかったが、駕籠はゆっくりとしてなかなかエゾにつかない。これはこれで大変だ!と内心思った。せめて船で行きたかったが、従来から決まりだから仕方がない。
 やっと松前についた頃、すでに冬に入っていて、雪が降っていた。
 今井八九郎と再会した林蔵は、比較的早く再会できたことを共に喜んで、松前藩から警備状況を尋ねた。それから、周辺の海岸線の測量をした。
翌天保6年正月をエゾで過ごした。あと少しでエゾでの任務もおわる。これからは隠密だ。老中からの密命であるが、南の薩摩へ入れるか、入っても隠密であることが発覚すればまちがいなく殺されるだろう。
 またエゾに来ることはあるだろうか!
 俺にとって、第2の故郷とも言えるエゾ、もう来ることはないかもしれない。薩摩を無事にでても、また生きているうちは江戸で待機のくらしだろう。一茶殿は隠居して、故郷で妻をめとってくらしたが、俺は無理そうだな。
 でも、アイヌ人との混血の野々(ノンノ)と一緒にいたことは今もよく覚えている。いや、年がいって、狗と言われてからやたら最近、思い出すと言った方がいいかもしれない。彼女は、昔、自分が江戸からもどった時にはもういなかった。俺は、エゾの測量中各地で彼女のことを探そうと各地のアイヌの集落できいてみたが、あいまいな答えしかなかった。
 もしかしたら、彼女は俺と別れてすぐに病気で亡くなったのだろうか、いや、ちがう。それなら何らかの形でわかるはずだ。俺は彼女に関係のありそうなアイヌの村はみなたち寄ったつもりだ。ならば、もしかして、別れてから、俺の子を宿っていたかもしれない、林蔵はふとそんなことを思った。だが、俺の子とも言えずにアイヌ人として集落に戻ってひっそりと子を産み、地元の奥の村で育てているのだろうか。林蔵は、だんだんとそんな気がしてきた。
 隠密とは本当に難儀だ。そして、測量師も。
 師の村上島之允も江戸で婚姻したが、いつも地方、それもエゾを歩き回り、すぐ離婚して50に届かずに亡くなった。そして、伊能忠敬は50までは測量をしなかったから、4人の子にめぐまれたが、その後、勘当したり、子に先立たれたりしている。そして俳諧師の小林一茶も50で隠居したのに、3人の妻と結婚したが最初の妻とは生まれた子が全て早死にして、その次は離縁され、3人目の妻が懐妊したが、ついに自分の方が子の誕生を前に先立ってしまっている。

 国のためとはいえ、こそこそと他人のことを調べて密告する。こんな仕事をしていると、いずれバチでもあたるのかもしれない。でも、今の俺にはこれしかない、さらばエゾ、俺はそう思うと、決心したように、出帆予定の舟にのって渡海した。渡海すると俳諧師に化ける。それから、航路と陸路を混ぜ、日本海側に沿うように向かった。
 途中、加賀百万石の城下町、金沢に入った。ここも薩摩のように入国者に対する警戒が厳しかった。大藩というのは外様であるから、やはり気をつかう。林蔵は気をつけながらここで無理に情報をえないで、ただ、芭蕉のようになろうと思った。
 日本海沿岸もさらに行くと、いよいよ山陰地方である。鳥取をでて、松江に入った。とにかく、せっかくの日本海側、隠密でもあるが、あからさまに隠密をすると怪しまれるし、江戸とは違う食材を楽しんだ。ブリの焼き魚を食べ、温泉に入り、また、遊郭に行って楽しんだ。

 ここまでは特に異国船をみたという話もなく、急いで通りすぎた。
 更に西にいき、浜田藩領まで入り、浜田城近くまでくると、歩いたつかれをいやすように茶屋で休むことにした。
 茶屋で休んでいると、大きな実のようなものが置いてある。あれ、これは日本のモノでない、でもどこかで見たことがあるぞ!と林蔵は思った。考え直すようにまたチラッと見た。そうだ長崎でみた椰子という南の樹木に実る実で、たしか、中に水が入っているよな、と思い出した。
 南から流れてきたのかな、それにしては新鮮なようである。
 林蔵は、俳句を詠むのに悩むフリをして、茶屋の主人を呼んだ。
 
 「あの実は何でしょう、初めて見まして、句でも詠もうと思うのですが・・・」と、俳諧師になりきって尋ねた。

 「へえ、私共も名は知りませんが、火難、盗難除けのお守りになるとかで、松原浦の舟乗りから買いました」と答えた。

 松原浦は、浜田藩では主要な港である。ここなら、馬関(下関)、九州にも近いし、南国の物も入るが、あの実は日本国内で獲れる実では決してない。

 それに長崎から入るとも思えなかった。
 長崎から各地に入るなら、もっと、金沢や境港などの港に大店の店は途中いくつもあった。それに途中でもたくさん輸入しているとは思えないし、これはもしや、浜田藩は密輸をしているのだろうか。怪しむことを任務としているせいか、考え出すと、すぐいくつかの考えが湧いてきた。

 ①、浜田藩自体が、日本海にあることから朝鮮や清国とこっそり抜け荷をする
 ②、同藩が、(薩摩のような)他藩から買っている
 ③、小津藩が捕鯨等で接近してきた西洋の異国船からもらった(または買って)いる。

 林蔵はやはり薩摩かも!と思った。
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プロフィール

作者:福田純也
福田純也
性別:男性
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