第十一章 長崎へ
事件の処分が終わった頃、勘定奉行の村垣淡路守から、間宮林蔵を長崎へ隠密として行かせよ、という密命が届いた。
今回のシーボルト事件も、結局は、シーボルトと(江戸の)高橋重保が情報や物品交換できたのも、もともと長崎のオランダ通詞が仲介役をしたことが一因であり、その実情の調査であった。
林蔵は久しぶり、大丸呉服屋の一室で商人の身なりに変装すると、すぐに東海道を進んだ。
今回、唯一ほっとしたのはアイヌ語の師、エゾ探検の先駆者である最上徳内がおとがめなしであったことである。最上徳内も長崎屋にいたシーボルトを数回訪ねて、かなり親しくしていたようである。アイヌ語の辞書も与えたようであるし、また、彼が長く滞在したエゾのことを彼自身が記録した書籍もシーボルトに渡っているはずだが、すでに70歳をこえた最上には今回何のお咎めもなく、林蔵は不思議な気もしたが安堵した。
最上はオランダ語に通じている蘭学者でないからだろうか、そんな事を思いながら、西へ向かう。