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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

いその六

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いその六

天保14年(1843年)、林蔵はもうほとんど寝たきりとなった。さすがに精力もおとろえ、以前毎日、狂ったように求めていたおりきと抱くことも以前より減り、ぼんやりと天井をみてすごした。

 林蔵は、再び重くなった身体を見つめながら、ついに今年でおわりかもなと思った。おりきを抱いたこともあり、だんだん未練もなくなっていた。夏に幸い小康になり、また、久しぶりおりきを抱いた日の夜、もう、松田伝十郎から、林蔵、早く渡れ!、と声をかけられて慌てて起きた。真夏の夢の夜だった。終わりの前の小康、もう、俺もお向かえが来るのかもしれんな。林蔵は思った。以前なら、あとは俺にとっての第二の故郷、蝦夷地を水戸藩のような藩や、伊豆代官江川英龍のような者が管理してくれたら、、、、と心の中で願ったが、なかなかそうも行くまい、という半ばあきらめの心境もあった。
9月になり、だいぶ涼しくなった頃、江川が言った通り、老中水野忠邦が失脚し、天保の改革も失敗におわった。手下であった筈の鳥居耀蔵による裏切りのせいとのことで、その知らせを聞くと(かすかにほほえんだが)林蔵は、もう何も感じなかった。もう俺はおわり、あとはみなでばんばってくれ、ここでの俺の役目は終わりだ、と目は言っていた。

 実際、水野忠邦の失脚は江戸の市民を喜ばせた。しかも、忠邦が西丸下の役宅をひきあらおうとしたら、数千の市民が押しかけ、邸内に石を投げ、辻番所を打ちこわしたという。 
 
 悪政はなくなる。幕府は異国船に対する態度もかわったし、また世はかわる、最後にそれを感じることができてよかった、あの世にいったら、それをいろんな人に伝えたい。この世で衰えた足だが、未知の世で、健脚を取戻し、追いついてやる!、でも、あの世では足はないから、健脚の必要もないな、林蔵は苦笑しながら、ひとり。ひっそり呟いた。

 そして、俺のこの40年、測量から始まり、ロシア、樺太、そして、帰国後のさまざまな西洋の異国船に悩まされながらも、懸命に生きた。
 あ、夢のよう。身体がやつれて死にそうになったが、一緒に定住する女も縁あってでき、事実、妻のような存在になってくれた。師の村上、大黒屋光太夫、伊能忠敬、松田伝十郎、大陸のデレンであった清国の役人、蝦夷で遅咲きながら真剣に恋したノンノ、小林一茶、矢部定謙、渡辺華山、かつて会って、刺激を受け、林蔵自身、激しく生きた時に共に生きた人たちのことを夢みることが増えていった。

 年が明け、2月に入り、暖かくなるなか、だんだん衰弱していく。最期、郷里の親戚もかけつけてくれた。おりきが泣きながら、水をのませてくれると、林蔵はニコッとほほえみ、うまそうにのむと、春だね、おりき、未知の世に行くよ、ありがとう、また、あの世でな、。
とかすれた声で言うとそのまま意識は失われた。

 医者が林蔵の容態を確認し、呼吸が耐えたことで臨終と告げた。

 天保15年2月26日(1844年4月13日)、数えで64歳であった。

 実子はいなかったが、亡くなる少し前、その時の勘定奉行戸川播磨守が、浅草の札差の青柳家の子で算術が得意な15歳の鉄次郎を養子縁組にしていたので、家督を相続した。おりきは、林蔵の遺した財産をうけとったあと、生前の林蔵は病気をうつしたかと心配していたが、その後も元気で20年後に亡くなった。

 おりきが亡くなった頃、幕府は欧米列強の圧力に、ついに開国をして、彼と同じ幕府の役人がすでに西洋諸国を視察するようになっていた。日本人にとって未知な世界を見る道が、開かれるところにきたようであった。

 ただ、死後、彼が測量した樺太も東韃靼も、彼が心配したとおり、そのころ、進出してきたロシアによって、清からロシアの領土となった。蝦夷地はその後、徳川幕府を倒した明治政府の手で急速に開拓が進められ、今の北海道として、米が取れなかった不作の場所が米の品種改良もあって、新潟県に続いて二番目の米所となり、北端の宗谷岬には、彼の銅像ができた。

 また、林蔵が亡くなった頃、欧州にもどっていたシーボルトは、日本という長い著書を発表した。そこにも、こっそり持ち帰った複製の地図が載っていたが、林蔵が発見した海峡も、マミヤの瀬戸と、言う名前で発表された。
 林蔵は、最期まで地図が複製されたとは知らなかったから、幸福な死だったのかもしれない。されど、樺太が島であることをシーボルトにばれたことは知っていたわけから、案外、ロシアがここを調査することは予想できたかもしれない。
 その後、ロシア艦が、探検をして、南北を軍艦で横断していることから、秘境でなくなり、今に至っている。(おわり)
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作者:福田純也
福田純也
性別:男性
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