昨日の夜に続いて、この日も、真夜中になってフト目が覚めた林蔵は、清国役人との筆談のことを思い出した。今思えばそんなに長い時間でもない、卯の上刻(5時)頃から、半刻(1時間)くらいのものであるが、やはり夢のような気がした。
いや、これは夢ではない、月代も伸びきっていて、まだ俺はデレンにいる。李白の詩などの筆談は幕府奉行に提出するものではないが、樺太と大陸でのロシアと清国との関係、勢力範囲等、重要なことはきちんと報告しないとならぬ、と思い、また眠った。
翌朝、交易に出かけたコーニたちを見送ると、小屋の中で一人残った林蔵は、デレンの各地の様子をまず何枚か描き、さらに2重の柵をめぐらした清国の役所と、役人が各部族から貢物を受けとる光景を描いた。描けば描く程、より正確に書こうと思い、集中した。元来、描くのは好きだし、幕臣として重要な任務でもあるし、自分にとって新鮮なことでもあったからか、面倒くさがらずに描きまくる。役人の姿、舟、交易所の雑踏、そして自分が酒宴をふるまわれていることまでも、なるべく詳細に描いていたら、たちまち夕方になった。
俺はやはり絵がうまいな、と描きながら、自画自賛して、一人微笑んだ。この絵は、幕府に提出することになるだろうけど、本当、歌麿の浮世絵のように広く江戸の庶民に紹介したいな、とか思ったりもした。ただ、これは幕府の機密として、保存されるから、外にはでないかもしれんな、と思うと、ちょっと残念だが仕方ない。だが、俺も、武士としてはどうせ下流のままだが、もしかして今回のことで、もっと出世となるかな、ならば良いけど、身分はあまり変わらないなら、窮屈な武士をやめて故郷で絵でもかきながら、百姓をしようか、とか考えたりするが、そうすると、またもう一人の自分がでてきた。
帰るまでまだまだ時間はある、ここで油断しては、帰路、急に病気になるかもしれん。まだ終わってないと最後に思うと、また眠った。
数日後、コーニ一行は、持参してきた獣皮の束を日用品に代えることも終えたようで、故郷の樺太のノテトに帰る仕度を始めた。林蔵は、樺太を南北縦断したのに比べれば、まだすごく近いと思ったが、やはり夏しかできない移動である。大陸に着いたから陸路を行き、途中から舟で進むのは楽だったが、陸路で山越えもした。
もし、あの時、山丹人か、他の部族や、野生の虎に襲われそうになったとしても、警備をする奉行も役人もいなかったから、よくよく考えれば命がけの旅であった。ただ、アムール河のような大河は、日本にない。そして、今回、帰路、このアムール河をまた下っていく。
ちょっと遠回りでもアムール川を舟でひたすら下って、河口から樺太に渡って、南下できれば一番いいがアムール河は、途中行きで寄ったキチーから、すぐに海にでてくれない。
キチーの辺りからさらに北上して、やっと河口にでるから時間が余計かかる。本当、世の中は人の勝手にはいかない、うまくは行かないものだな、と、林蔵は感じた。