江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。
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年が明け、文化7年(1810年)になった。
林蔵はその前日からすでにノンノと共に、高橋重賢の屋敷にまた戻り、一室で泊まっていた。重賢は、すでに林蔵のことについて飛脚で伝えたと言った。もう、江戸表に届いているはずだ!江戸の天文方で、私と名字が同じ天文方の高橋景保様に書状は届いているだろう、と続けた。
天文方高橋景保は、当時、日本地図の作成をしていた伊能忠敬の師、故高橋至時の息子(長男)である。父、至時は、元は先祖代々の幕府の下役人である大坂定番同心の子として生まれ、やがて自分も親の後を継いで大坂同心となったが、算学にも興味をもち、優秀だったのでさらに学ぶに到った。さらに天文学、暦学を修め、後に、その優秀さが近畿だけでなく、江戸の幕府でも知られるようになると、ついには幕命により江戸にでて、幕府の天文方に出世となった。江戸にでてから、さらに期待され、天文方として寝食を忘れる程、熱心に研究をしたことから、元来病弱であったこともあり、惜しくも結核で41歳でなくなっていた。景保はその父の跡をついで、文化元年(1804年)天文方の後継となっていた。