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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その四

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その四

コーニの一行と共に、舟に荷物を入れ、舟ごと8人全員でもって陸路を進んだ。すでにここは彼ら以外の部族も歩いていたから、わかりやすい一本道である。途中、山ごえもしたが、昨年、最初の探検で、樺太の東から西に横断したのに比べたら、まだ楽だと感じた。そして、ここまで来たらひたすら行こうと思った。
 
 山路をようやく抜けて、タベマチーという名の川についた。また、持ってきた舟を降ろし、舟をこいで川を上ると、やがてキチー湖という湖に出た。そこから湖を渡ると、ついにアムール河とぶつかり、キチーという村についた。

 なんでもずっと昔は、デレンでなくここに清国の役所があったが、キチーにもともといた原住民と交易にきた別の部族が殺しあいをしてから役所がなくなったらしい。以前、樺太中部のリョナイで俺たちから米や酒を奪った山丹人かな、と林蔵は思った。
 また、日本人はもちろんアイヌの姿もなく、大陸だし見慣れない顔つきをしている人間が集まっているような気がして、もしやロシア人のような白人もいるか、と林蔵は気になったが、白人らしき者はみあたらず、みな雪やけか、妙に日やけした顔で、ひげつらのニヴフ人か、山丹人のようであった。

 林蔵はコーニたちと、また舟をアムール河に乗って、少しず上流に進めた。
 アムール河は、日本の川とは、まるでちがう広さである。これが大陸の河か。当初想像していた以上に広く、対岸まで2里はゆうゆうありそうな感じがした。林蔵は、故郷の子貝川の本流である利根川を思い出したが、利根川は、下総の銚子港から、関宿までのぼると、ここから支流の江戸川に分かれ、江戸川を下れば江戸である。そして、本流は上州(群馬県)まで上る川で、関東の者にとって利根川こそが最大の大河である。
 だが、アムールはすでに河口からキチーまでの距離でも、銚子から上州までの利根川よりもずっと長いようである。上流に進めど、川幅は広く、大河には短い夏ということもあってか、彼ら以外の舟が必ず進んでいた。ただ、もともと、冬が寒すぎるからか、あまり人もいないようで、岸には集落がときどきポツポツみえるだけで、人の姿はほとんど見えなかった。
そして、清国人も、役所こそおいたが役人以外は住んでいない。
 アムール河は、清国人のいるところは流れていないのかな、それとも、ずーっと奥までいっても、まだ利根川の河口よりも川幅が広いなら、奥に行ったらやっと大きな街があるのかもしれない、とか思いながら、川をのぼった。
 とにかく、さすがに、そのデレンという場所より奥へは行けない。俺はコーニたちにくっついてきたわけだし、清国の役所のあるデレンがどれくらいの街か、早く着いてくれ、と思った。

 船上から途中途中みえる村落だが、野宿を重ねる内、また言葉もちがうのかな、とか、いろいろと気になる。コーニにきくと、これからは身ぶり手ぶりで、会話をすると言う。そんなんで通じるか、ときくと、ここに泊めてくれ、と、これを交換してくれ、だけわかれば何とかなる。
今までも何とかなった。うまく言えなくても相手の言ってることならわかる、と笑って答えた。 そうして、デレンの手前で(4里16km)のところでいよいよ、デレンに入る準備となった。
 デレンに近づくと、今までみた樺太の対岸の東韃靼とちがって樹木も生いしげっていた。草の緑も、すごく鮮やかで、すごくいい気持ちである。これなら歩いても行ける!と思ったが、舟でゆっくり景色を見るのも気持ちがいい。
俺という奴は、今まで早くつかねぇか、と半ばイライラしていたが、いよいよと近づいたと知るとなんだかどきどきとして、なぜか怖い気持ちにもある。本来、怖がりなのかもしれないな、と思った。
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作者:福田純也
福田純也
性別:男性
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