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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その六

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その六

「ロシアの軍船が、日本にもやってきて、紛争になった。自分は樺太もロシア人が植民しているのかと思って、樺太の北部まで調べたが、どうもロシアはいなかった。対岸の東韃靼はどうかと気になってみたが、ロシア人はいないようで、ほっとしている」

と、なんとか片言のニヴフ語と時にアイヌ語を交えて、コーニに伝えた。
 話す内容によって顔つきをかえたり、ほっとしているという時はすごくうれしい笑顔を敢えてつくって、何とか伝えようとしたが、通訳をつとめたコーニもどう伝えたものか、すぐにわからないようだった。何せ難しい内容だ。

  林蔵は、身ぶりで紙と筆を貸してくれとたのむと、清国人の役人の一人が、持ってきてくれた。そして、そこに今の内容を何とか漢字で記した。コーニを通すより、こちらのほうがずっと楽であった。
 2人の清国人はすごく驚き、お互いに目をあわした。日本人も漢字を書くのかと、ちがう質問になり、コーニが訳すのに苦しんでいると、役人は自ら筆をとり、書いて質問した。

 「日本では、日本人独自の文字と漢字を半分ずつ使う。だが、漢字は難しいので、書けない者もいるが、日本文字なら多くの者が書ける」と書くと、再び驚いたようだが、その後、納得したような表情を浮かべた。。

 どうも、清国の内地の都市でも文字の読み書きのできない者も多い上、韃靼や樺太などの部族は漢字はおろか、文字さえないのだから、日本人で、しかも漢字をあやつる林蔵は、身なりはボロボロでも、日本の上流階級層にみえたようであった。

 清国人は「ロシア人は、清国にも北からやってきたが、我らはおい払った」と答えた。

 清国人のきっぱりとした回答や態度をみて、林蔵は、探検に向かう前の江戸で面会した大黒屋光太夫のことをおもいだした。(海岸だけでなく)ロシアの内陸もずっと北なのだろうか。100年以上前(この探検からだから17世紀の末)、すでにロシア人は清の勢力と北でぶつかり、ネルチンスクというところで条約を結んだ、と言う。
その後、蒙古のキャフタという所でも、国境を定めたと、光太夫がロシアで漂流中、ラクスマンからきいた話を、林蔵もまた光太夫からきいているが、このキャフタとはどのへんだろうか。

 漢字でどう記すか。林蔵はわからず、結局、その2つの地名は役人にきけなかった。だが、この一帯は、我々の勢力下だ!ときっぱりといってコーニにも訳させた態度からして、やはり少なくとも樺太北部やデレンに至るこのアムール河の沿岸は清国領なのだろうと、判断した。
光太夫は、イルクーツクのことを一万人近い一番の都市と、以前林蔵に向かって言っていたが、これは確か、江戸で見せてもらったロシアの地図では、ずっと内陸であったし、清国は、もともと大きな国で、そのうえ人の凄く多い国ときいている。多人数をもってすれば、ロシア人を追い払うのも簡単にできそうに感じた。

 清国の役人の一人が、ここを流れる大河(アムール河)は黒龍江という名前であると、漢字で記してくれた。そして、黒龍江はずっと、清国の最北部を流れているが、途中、松花江という川がアムール(黒龍江)と別れ、その川を上ると清国の東北部の地区に入って、デレンよりも、ずっと大きな都市があるとのことだが、ものすごく遠いようで、さすがに距離感がつかめなかった。

 やがてコーニによる挨拶が終わると、林蔵もほっとして、コーニと共に深く頭を下げ、部屋の外に出た。そして、あとは何日間か居て、ここで、別の部族とも交易して、またもう一度、清国の役人のところに挨拶をする。短期間ながらも、野宿というわけにもいかないので、コーニたち一向と彼が泊まるため、小屋を探したら、誰も使っていない小屋があったので、そこで、泊まることになった。
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プロフィール

作者:福田純也
福田純也
性別:男性
男性

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