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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その二

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その二

コーニは6月の下旬、東韃靼のデレンの清国人の役所へ貢物を持って行くとのことであった。樺太に限らず、各地域からの集まりである。

 林蔵はなんとか従者としてつれていってほしいと、身振りも交えて頭を下げた。

 持ち前の積極性が幸いしたか、ニヴフ人の言葉にもなじんだ林像はもう通訳も介さず、片言ならコーニと話もできていた。コーニは悩んでいるようだったが、林蔵の熱意によって、承諾してくれた。

 日本の役人をつれていくことは、ある意味、彼らにとってもただの朝貢ともちがうものであった。だが日本人は清国人と同様、同じ文字(漢字)を使うということもあり、うまくやれるかも、と思ってくれたようだった。
林蔵としても、こんな機会はめったにないと思っていた。やはり、行かなければ、あとで悔いも残るというのもあったし、この短い夏とは言え、まだ2ヶ月は大丈夫そうである、それに、こんなことは、人生で一回だけしかない機会である、冬は朝貢などできないし、来年の夏までそれまで、ノテトのコーニの住む集落でも、
いや、南のアイヌ人のいるトンナイでも暮らす自信もなくなっていた。
というのも、彼らとどんなに仲良くしたつもりでも俺はやはり日本人だということを実感していた。彼らの言葉や風習を理解してはいるが、彼らは俺には何を望んでいるか。答えは明白であった。俺が蝦夷地からたくさんもってきた米、清酒と煙草だ。米はもうだいぶなくなっていた。
清酒や煙草はまだ残っていたが、それがあるから、みなよけいに親切なのかもしれなかった、というか、きっと、そうにちがいない気もしていた。あとは、今回日本人のそれも役人の自分の世話をすることで、後の白主や宗谷での日本人との交易に優遇してもらえるという期待もあったかもしれなかった。

 とは言え、また来年の夏まで、確実に酒は勿論、煙草もなくなるだろう。彼らの狩猟や漁業と手伝っても冬は何もせず冬眠のようにくらすことになるし、日本人の俺は食料を分けてもらってばかりで邪魔な存在かもしれなかった。それに蝦夷地との交易を保証できるような力なぞ俺にあるはずもない。
しょせん農民上がりの下役人だ。やはり、今、すぐに行けるなら、行くが、同行できないなら南のトンナイを経由して白主にひき返そうと思った。

 彼ら(ニヴフ)人の暮らしぶりも、だいぶわかってきたが、ロシアの船に関して、樺太西海岸では誰も見かけなかったし、俺も見なかった。残念ながら島の東海岸を縦断できなかったが、ここまでやったんだ。
実のところ、デレンに行かせてくれと言うには言ったが、内心拒絶されるとも思っていたし、それでも仕方ない、と言うか、国禁を犯すことなくその方が良いのだ、とも思っていた。

 心の中は常に迷いがあった。一緒に行こうと言われると今度はここまで来たし、もう帰りたいと思ったりするが、もう一人の自分は何故か、せっかく大陸の近くまできたんだから、ここまできたら大陸、東韃靼に行かせてくれとも言う自分であった。
ここからは義務というより、自分自身の我欲とも言えた。

 大陸に舟で渡り、海岸に着いたらすぐに引き返す。これだけでもいいと思ったり、いやいやせっかく行ったからにはやはり一気に川を上ってデレンまで行きたいと思ったり、彼の心の中はぐるぐるしていたが、とにかく清国人も役人なら身分も高いし漢字はできるはずだから、できれば筆談してみたいという気がデレンにいくというより強かったのかもしれなかった。同じ文字を使う彼らと交流してみたくなった。
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作者:福田純也
福田純也
性別:男性
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