第四章 大陸へデレンかな?
数日後、ニヴフ人の集落であるノテトまでひき返した林蔵は、せっかく北樺太まで来たこともあり、もっと交易について知りたくなった。蝦夷の松前藩と交易するのに、必ずといっても良いくらい清国の織物を輸出品として持ってくるアイヌ人が、さらに北の樺太でも交易している。
誰と交易しているか、たぶん、ニヴフ人が南下して、トンナイや白主と言った樺太の南のアイヌ人の集落まで来て交易するとして、そのニヴフ人は、北に戻った後、狭い海峡を渡るか、アムール河を上って、大陸の清国人と交易しているにちがいない。
ノテトの少し北、ラッカのあたりまで行くと、対岸の大陸との狭間の海が本当にせまかった(実際、一番狭い箇所はわずか2里(8キロ)くらいである)。舟でまず大陸へ渡り、今度は大陸にそって北上して、あのアムール河の河口まで着いたら、そのまま河を上流に上るのかもしれない、と推理した。
林蔵は、同行してくれたアイヌ人たちを今までの旅の御礼を言ってねぎらいながらも、彼自身はここに残る決意をした。そして、南部のトンナイにもどるアイヌ人に今までの成果を記した書状と樺太の北部の測量した地図を渡して、トンナイの日本人の漁場の支配人に渡すよう依頼した。日本人の支配人は、春、いったん蝦夷の南端の箱館まで戻るが、また、それから北上して、トンナイまで北上して来ることを、彼はトンナイで静養しているときに実際、本人からも聞いていた。
そして、支配人が、また蝦夷に戻る際に宗谷の会所に自分の認めた書状が届けば、万が一、俺が、ここで急病で亡くなっても、前回行けなかった最北の地図が伝わる!と思い、安心した。
それから林蔵は、ニヴフの言葉ももっと覚えようと努めた。村人はアイヌ語も少し知っていたので、すでに通じていた。ニヴフ人も南へ交易するのだから、アイヌ語を耳で覚えているようである。
林蔵は狩猟民族の彼らの手伝い、アザラシ漁も手伝った。もともと、米の他に酒と煙草を持っていたが、やはり日本の煙草や濁りのない透明な酒は大変珍しく、彼らにも好評のようである。
しばらくいるとコーニの家族以外の現地人もかなりうちとけてきた。そして、おちついてくると頭の中は清国やロシアのことばかり気になった。ロシア人はまだ来ない。大黒屋光太夫がロシア船で日本に帰国する際に滞在したオホーツクの港は、どうやら、ずっと北にあるようだ。
どこまでが清国の勢力範囲なのか、樺太は今も、本当に清国なのだろうけど、しかしロシア船をはるか東海岸でみた現地人もいたのなら、やはり気になる。
ある日、ついにだまっていられなくなり、コーニに向かってロシア人について質問をした。コーニは、
「樺太は清の影響下だ。自分は赤人のロシアは知らぬ」というが、「対岸の大河を上がればわかるやもしれぬ!と続けた。
アムール河、大陸の河だ。どこまで遡るわからないが、大陸の奥深くまで行くのだろうか、と心配になってきいた。
コーニは首を振って答えた。
「みな、デレンという河ぞいにある集落に集まるが、ここからなら樺太南部のトンナイに行くよりずっと近い。だから、そんなに遠くはないぞ」
ならば舟で行けるかも、と林蔵は思った。勝手に大陸へ渡るのは、海禁状態の徳川幕府の治世では、国禁を犯したと判断されると死刑になる!されど樺太も北部はもしかしたら清国人もいたかもしれない、それに、樺太とどれくらい離れているかわかれば、樺太の調査にもなる。
いくら島だとわかっても、大国の影響は気になった。それに松前ではアイヌを介して貿易もしている。ならば、いいだろうし、もし、死刑になりそうなら黙っていればいい。