滞在中、交易をするコーニの後を歩きまわっていた林蔵のことを清国役人たちは関心を持ったらしく、夕方になって彼らが宿泊している舟へ来いと使者をよこしてきた。
使者は書状をもってコーニを訪ねたが、もちろん、コーニは文字がよめない。
当然、日本人の林蔵に渡して、意味を問うた。
「清国の役人は私に宿泊している舟に来いと言ってる」と林蔵は言うと、
「お前は文字が読めるからいいな、日本と清国は同じ文字を使うのか」ときい
てきた。
「いや、日本では半分は漢字だが、半分は日本の文字がある、それを筆談ならお互いにわかるけど、会話はさっぱりできない」というと、
「清国の文字はみるだけで難しいのに、その上、日本独自の文字も習っているなんて、すごいな」とコーニは驚いていた。
林蔵は答える「だけど、コーニは、文字ができなくても、清国人の言ってることや、他の部族の言葉もわかるじゃないか。日本人にはまず無理だ」とけんそんした。
林蔵は、測量をしていて遠目がきいていたが、アイヌ人もニヴフ人も、みな目も耳もよかったような気がした。狩猟を生業としている彼らはやはり生きていくために自然と目も耳も、とぎすまされているのだろうか。耳の良いのは外国語にも応用されている気もした。
文字で覚えないからこそ、頭にきちんと入れてしまわないといけない。コーニも部族の父や年配者から習ったアイヌ語や清国語も、言葉も文字は使っていないから 書いて覚えることなく、ただひたすら、口で唱えて覚えたことであろう。そして慣れていくといつしか知らずに覚えている。
林蔵は、それはそれですごいことだとずっと感心しっぱなしであった。
夕方、林蔵は、一人で清国の役人の休む船の中に入った。林蔵たちがのっていた舟より、中はゆほど広く、頑丈そうであった。
そこに、絹の上質の服を着た役人たちが昼よりもゆったりとした表情で座っていた。
下級役人から、すぐに紙をもらい、お互いに筆談となった。
役人たちは、林蔵に漢字を口に出して読んでみよ!と漢字で書いた。林蔵が早速、日本語で読むのをきき、あまりに違う!と驚きながらも、また筆記はすすんだ。
役人は、林蔵が、本当に日本人なのだ、と再び納得して筆談しているうちに、「日本からここに来た人は、初めてか」という質問になった。
「私は、百年以上前に、東韃靼に漂着して助けられた日本人がいたときいている。御存知か」ときくが、役人たちは、「それは知らなかったが、その者は日本に帰れたか」と再びきかれた。林蔵は、日本海を北上しているうちに韃靼に漂流した日本人の話を筆談した。