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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その八

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その八

海をわたり、舟は陸奥についた。奥州を急いだ。奥州もすでに寒くなっていた。和服というものはやはり寒さに弱いと思いながらも、でも彼自身は寒さにはやはりかなり強くなっていた。ただ、久しぶりの旅、しかもデレンから帰りはずっと、舟ばかり、舟にゆられるのには慣れていたが、歩くのは実に久しぶりである。
 健脚と思っていたが、やはり長い間歩いていなかったせいか、数日後、仙台まで着くと、つかれて寝込んでしまった。

 ただ、樺太奥地の調査という大役を果たしたこともあって、どこでも歓迎をうけた。
 仙台でも寝込んでいると、すぐに、それをききつけた地元の長崎でオランダ医学を学んだことのある医者が診察にきてくれたり、また別の場所では、針灸の医師もきて足の治療をしてくれた。

 無理せずにゆっくりと、それでもしっかりとした足どりで寒い風の中、江戸へ向かった。江戸ではもっとたくさんの人からほめられるぞ!という気がして、気分は晴れてきた。

 年があけた文化8年の正月、ついに江戸に入った。まず、松前奉行所の霊岸島会所に行き、帰着の報告をすると、また、「東韃靼地方紀行」「北夷分界余話」の整理をしたくなった。

 松前で面識のあった豪商で江戸にも店をもっていた人がいたので、そこは頼んで、小さな家を提供してもらった(すでに松前にいた時から、重賢の方から早飛脚で江戸に依頼して、林蔵がつく前にすでに準備してくれたみたいだった。

 江戸は、文筆家も絵師もいる。豪商の紹介でやってきた文筆家や絵師に清書を仕上げてもらい、あとは、待っていたが、また道中の久しぶりの旅を気づかれだろうか。
蝦夷地から内地をずっと南下して江戸にもどると、またほっとしたのか、つかれて寝込んでしまった。

 ノンノと別れて、俺はまたどこかをさまようような人生だろうか。31歳、これからもこの仕事をする限り旅をする。湯治やお伊勢参りは流行っているが俺の旅は未知の場所、孤独だ。師の島之允は40すぎてもすごく元気そうだったが、最期はあっけなく亡くなったときく。俺には(蝦夷地より遠くの樺太という)もっと大きな名誉があると自分にいいきかせたりしながらも、探検はもういいだろ!という気もあった。今回、奥州から江戸へ行く途中は寄れなかったが、小貝川の近くの実家で嫁をもらって百姓をやろうか、とぼんやり考えたりする。
 松前でも重賢の家からでて、野菜をうえていると心が和らいだ。本来、武家の出身でなく農民だから、畑で芋や野菜を植えるのも得意だ。日本の江戸まで来たんだし、内地に少しずつなれてきたし、あと、今は寒いけど、江戸の夏の暑さが苦痛だから、それに慣れなきゃ、とも思う。

 また昔、エトロフで、ロシア船が来たせいで、他の人間と一緒に江戸まで護送された時のことも思い出した。あの時は、すごく心配しながらも、箱館ですごくかばってもらい、江戸では無罪になった。

 さて今回はどうかな。今まで、あれだけほめられながらも、一人また再び江戸に入るとすごく不安になる。上の老中が変われば、方針も変わることもある。国法を破った者と見なされれば、下手すれば死罪だ。やはりずっと以前、江戸で重罪人が引きまわしの上、磔つけになった罪人の姿を一度みたせいかそれが我が身にならないか。
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作者:福田純也
福田純也
性別:男性
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