第六章 蝦夷の華、江戸の花
9月28日、約束通り松田が手配してくれた舟に乗り白主をはなれた。夕方にはもう宗谷、ああついに、蝦夷地、日の本だ!と林蔵は思うとまた、目頭があつくなった。
旧暦で10月は、今の暦で11月半ば、蝦夷地もかなり冷え、すでに宗谷もうっすらと雪化粧である。
宗谷に着いた林蔵は、早速、松前奉行から出張していた調役並の深山宇平太に面会した。深山は林蔵が樺太北端だけでなく、指を凍傷のせいで苦しみながらも、現地のニヴフ人と共に東韃靼の地まで行き、清国の役人と会ったことをきき、ひどく驚いた。
さすがに役人に、東韃靼まで行ったことを言うのはまずかったなと思ったが、伝十郎と会って褒められたことを思い出し、自分は正しいと思ってやった!と思うようになっていた。深山他、宗谷にいた日本の武士も最後はすごくほめてくれ、では、松前に行く舟を探してみよう、と言って手配してくれた。宗谷の海も氷におおわれるから、急がねばならぬとばかり調べたら、東警固の北諸藩の藩兵たちもとても宗谷で冬はこせぬし、みな帰藩することになっていたので、そこに同乗することになった。
宗谷から、舟に乗ると、まもなくまた利尻島がみえた。もう山にも雪が降ったようで雪化粧である。林蔵は思わず、その美しさに目を奪われ、頭を下げた。
「日の本や、やはり富士山 必ずや、江戸に戻って、拝みたいもの」
うん、うまく詠めぬものだ、と思いながらも、はるか南の富士山や江戸のことを思い出した。
舟は、ゆっくりと進む。どうも冬の海は恐しく、波が何回も高波になる。途中、蝦夷の各地を泊まりながら、陸地に沿ってゆっくり進み、12月に近い11月27日、真冬の松前についた。
舟からあがった林蔵にとっては大した寒さでなかったが、大雪のあと、まだ底冷えのする季節、みな寒そうに頭巾をして歩いていた。
早速、奉行所へ行くすると、吟味役の高橋重賢が入ってきた。
林蔵は平伏し、「ただ今、もどりました」と元気な声で言った。
「おお、よく帰ったな。だいぶやつれたんじゃないのか。大丈夫か」と高橋は、驚き、やさしく言った。
「大丈夫です。白主や宗谷でも日本の方と会えましたし、元気ですよ」と返した。
「そうか、それはよかった。ところで樺太はいかがであった。やはり、島だったか」
高橋は早速尋ねてきた。
「はい。樺太はやはり島でございました」
林蔵は、敢えてゆっくり、はっきりと答えた。そして、一呼吸すると、松田伝十郎に話した内容をくわしく話した。越冬したこと、また、春になってから、ニヴフ人の力も借りて、一度北部までいったこと、そして、ここから言うのかどうか迷ったが、大陸へやむなく渡ったことも言ってしまった。
「何と、東韃靼まで行ったのか!」
「は、実は、ノテトという地名のニヴフ人の村で休んでおりました。アイヌ人は南へ帰し、私は近くを探索する気でしたが、食料のこともあり、ずっとそこにおられなくなりました。南へ下る舟の手配をたのんだのですが、そうしますと、今度、ノテトの村の酋長が、朝貢にいくといいますので、清国とロシアの国境も気になりましたし、ならばと、一緒に舟に乗せてもらいました。ずっとノテトにいても、現地人の南への舟もありませんし、樺太は陸地に道もまともにないものですから。それでも私は、罪を犯したことになるのでしょうか」と、林蔵は心配になって言った。ここは東韃靼に行ったことをすなおに話すことにした。
「いいや、これはあくまで私の気持ちだが、そんなことは決してあるまい、それで、清国人とは会えたのか」と高橋は更に尋ねてきた。
林蔵はお互い漢文で筆談し、清国とロシアのこと、そして、東韃靼は昔、ロシアも侵入したが、清が大軍を率いて追い払った話などを知らせた。
「よくやった!。舟でのつかれもあるであろう。私の屋敷に泊まるがよい」
重賢はおどろきながらもやさしくねぎらった。