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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その六

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その六

2人でそういった話をした後、松田もほっとしたようであり、ふと歌を詠んだ。

 「白主や、内地からみて 北の果て されど本当は 何の南よ」

 林蔵はうなずきながらも、ふとほほえんだ、

 「なかなかいい歌ではないでしょうか。日本人には白主もすでに北の果て、以前ですと、蝦夷の松前さえも最果ての地でしたね。それでもロシアや山丹人にとっては南の南とも言えますから」

 松田伝十郎は、「うむ、どうも、私としてはうまく詠めてないというか、詠むのも久しぶりなのだ。ただ、ハッと思い浮かんだ。昔の人は、蝦夷や樺太より、さらに北に人がいるんだなぞと思ってもいなかったろう。私も、ロシア人が姿を出すまでは全くもって無関心だった」

 「ただ、今回、清国の勢力下であるし、今のところ、清国にとってもロシアは目の上のたんこぶとでも言えます。ただ、清国がもし弱くなれば。ロシアはすぐにというと大げさですが、徐々に入ってくる危険性はあります」と林蔵はこたえた。

 「間宮殿、私もそこは気になっていたのだ。清国は、豊臣秀吉が朝鮮を攻めた頃、まだ明国だったわけで、それから清国に変わっている。あそこは、大昔、三国志だった頃から、やたら戦をしているな。王朝が何回も変わり、唐だったり、宋だったり、それに日本を攻めたのは元国だった。そうやって王朝が変わっている。そこに今までよりも強そうなロシアもいるわけだからな」

 「ええ、ですが、今後も、蝦夷地は天領(幕府の直轄地)にするべきです。もっとアイヌ人を内地の百姓のように米は取れない代わりに、鮭や昆布を年貢として収めさせる。もっとも、決して押し付けないで、彼らの風習をきちんと残して、我々も取り入れたりと、やんわりとやりながら、ですが」と林蔵は言った。

 「さて、間宮殿」と松田が言いかけたところ、「林蔵!と呼んでください、我らの間で水くさい」と林蔵は微笑んでいった。

 「わかった。林蔵、お主は、早くこれから宗谷へいき、そして松前までもどらないとな。船を手配しないと」

 「松田様は戻られないのですか」林蔵は尋ねた。

 「私は幕命もあって、この冬は初めて越冬する、この白主でな。冬も警固して山丹人はもちろん、ロシアの艦がくるやもしれないが。まあ、ロシア人は最近来てないし、海が氷るから、それは大丈夫そうだが、ここのアイヌたちとももっと親しくなっておくつもりだよ」

 「そう言えば、そのデレンというところで清国人と筆談したとのことだがやはり、樺太やロシアや交易のことの話が中心だったか」

 「ええ、そうでもなかったです。たしかに十中八九、いいえ、十中確実に九は、その話ですが、李白の詩についても話ました」

 といって清国人が筆談で書いた李白の"客中行"という漢詩の書かれた紙を、袂から取り出して見せた。

 「彼らとの筆談でもらった紙は、これだけですが」と言った。

 松田はさっそく、ていねいに読んだ。林蔵よりも漢詩にくわしいようであった。
 
 「いい詩だな。酒はやはり国も海もこえて友をつくるな」と言った。
 
 「私が静夜思という漢詩を書いたら、御礼として酒をご馳走になりながら、この客中行という詩を教えてくれました」

 「正に芸は身を助ける。風流とでも言うかな。私の和歌は半人前だが、これでも以前話した小林一茶殿とは手紙を交わしていたのだよ。もっとも今は無理だが」

 小林一茶、久しぶり松田の口からでて、林蔵も思い出した。

 「私も松前から、更に江戸に行けば、一度お会いしたいものですね。ただ小林様が、江戸から北信濃や越後の方におもどりなら無理ですが」と林蔵は言った。

 松田は最後に言った。

 「九月中に必ず、船は手配する。宗谷に行けば、まだたくさんの者がいるし、そこから船の手配は楽だろう。たぶん、お前のやった功績は、徳川幕府始まって以来の名誉なことだ!
まず、松前で詳しく話をきかれ、その後、おそらく来年中には江戸へでれるだろう。ご老中のような方とも会えるかもしれないしな。今はゆっくりと休んで船を待ってくれ」
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プロフィール

作者:福田純也
福田純也
性別:男性
男性

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