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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その十二

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その十二

二月もおわりが近づいた28日、新たな松前奉行に任じられた服部備後守が、村上貞助と新たなロシア語通詞、馬場佐十郎と安達左内を伴って松前に着任した。

 新たな2人はゴロブニンからロシア語を学ぶために、すぐに引き合わされた。

 当初は、生のロシア語を聴くことには苦労していたが、ロシア文字も文法ももともと知っていただけにまもなくかなりのレベルに達していた。

 また、安達左内も、光太夫がロシアから持ち帰った算術書の翻訳をしていただけに、天文及び数学が長けていたことは、ロシアのゴロブニンも記録している。

 林蔵はまたエゾ地の測量の任務もあり、準備していたが、新たな通詞を加えた3名は、逆にロシア語能力が上がっていくことで交渉がすすむのは良いが、より彼らロシア人に同情的になるのではないか、と気になっていた。

 また、今度、江戸から着任された服部備後守も、いずれ来航するロシア艦に向けて、文化4年(1807年)のエトロフ襲撃がロシア政府と無関係なフォストフ大尉の独断とはっきりしたら、ゴロブニンを釈放するという手紙を持っていた。

 本来、これをロシア語に訳させねばならないが、作文をするのはまだ日本人には難しく、また訳しても相手に誤解を招いてはならないのでゴロブニンたちに説明して訳してもらうことになった。

 5月になって、国後島にロシア艦が来て、人質となっていた高田屋嘉兵衛を上陸させ、ゴロブニンらロシア人の釈放を求めると交渉が始まった。

 人質となっていた高田屋嘉兵衛はカムチャッカでロシア語を必死に学んでいたこともあり、リゴルドとの間に友情のような感情ができていた。彼の活躍で、ロシアが以前掠奪したエトロフの武器、財物と返還するなら、箱館港でゴロブニンたちをひきわたすということが決まった。

 また嘉兵衛は商人だけあって、気転を利かせて魚を大量にロシア艦に届けたりしたことも効を発して、ロシア艦が条件を受け入れることになった。

 嘉兵衛たちはカムチャッカの南のペトロパヴロフスクに抑留されていたが、3人の人質が病気で亡くなっていた。

 ロシア艦の来航にむけて、奥州蕃兵500人近くが箱館にきたのと、ゴロブニンたち8人が松前から箱館に運ばれた。

 9月になって、(旧暦の9月)ということで、もう箱館は冬の音が近づいていた頃、ロシア艦が来航してきて、交渉が始まり、9月28日、ゴロブニンらはロシア艦に送りかえされた。
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作者:福田純也
福田純也
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