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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その一

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その一

ゴロブニンたちが送り返されたことで、奉行のある松前も箱館もほっとしたようであった。ただ一人、林蔵は、こういう時にも、あらたな間者がくるか、いや来ているにちがいない、と思った。まわりは林蔵をみると、また始まった!という感じで接して、居心地がわるくなっていった。

 捕虜は返したし、何をまだ気にしているの?と言われるならまだしも、あいつは平和だとしょせんすることがない奴、と言われていうような気までしていた。どうも林蔵は自分自身、何もないのが耐えられない男になっていたようである。

 ならば、測量をやろう、伊能忠敬からまた新たに教えてもらったし、奉行に承認してもらいあの人が、まだきちんと行けなかったところを測量しようと思うと、石狩川の内陸の調査を依頼され、向かった。

 任務はまた長い、これを必死でやれば、俺の存在価値はまだ続く。

 そう思って、まだまだがんばれる自分がいた。そして、それと同時にどこにも仕えていない浪人は大変だなと思ったりした。

 実際、松前ではあまり見かけなかったが、江戸にはたくさんの浪人が苦労して生活していた。剣術やそろばん等に優れて、何とかどこかの藩に任官をしたりしているが、実際のところ、うまくいかない人の方が多い。

 まだ、軟禁状態だったゴロブニンの方が毎日、食事も上等で、しかも酒もでていたわけだし、日本中で貧しい浪人がいることを思うと、みんな内地からエゾに来いよ!、石狩の川も鮭がたくさん捕れて、酒もよけいにうまいぞ、と叫びたくなる。

 みんな米のとれない寒冷地ということで誤解しているが、実際、アイヌ人との貿易のため、米はいつもたっぷり貯蔵庫にあるし、ぜいたく品の鮭や昆布がいつも食える!、最初、きついけど、寒さに慣れれば、内陸で飢えるよりずっといい。

 "ゴロブニン、釈放されて、残りしは、未だ苦しい 御浪人たちかな"

 久しぶり、ふと駄作が浮かんだ。こんなの詠んだと知れたら、たぶん、本物の浪人からなぐられるな!と苦笑した。この句は一茶さんに送ってあげよう、今度の測量が無事におわったらと思い、寒い中、樺太に比べたらマシだ!と自ら思って測量した。
 
 文化12年(1815年)も、北信濃にいる一茶に手紙をかくと早速、エゾ中を歩きまわった。エゾの桜はやはり桃色が濃く、輝いていた。そして、アイヌの村々を歩きまわって、得意のアイヌ語で話すと、あいかわらず、すぐにうちとけていた。
 あー、自分はこのまま、アイヌ人になった方がいいのではないだろうか、と思いながらも、いや、何だかんだ言って幕府の役人だから、こんなに待遇してもらえるんだ!と思い返し、歩いた。

 たまに熊の通った道があり、同行していたアイヌ人に教えてもらう。松明をつけ、慎重に進んだ。

 すでに村のアイヌ人が熊をしとめてくれたので、それをさかなに一杯呑んで、樺太で凍傷になり少し曲がってしまった指をみる。熊か!

 こいつのおかげで凍傷なおったのだな!とまた樺太でのことを思い出した。

 幸い熊におそわれることもなく、蝦夷中を歩きまわって、箱館についた。

 ノンノはどこにいるのだろうか。海岸にも石狩川を上ったときも集落はポツポツとあったが、やはりいなかった。測量、各地でとまりとまり進む。もし彼女がきたら、何とかここにいたかった。海岸にいないなら、内陸だろうか。

 バカめ、未練だ。もう忘れろ、新しい女性をうまく見つけろと自身を叱りながらも、一人になるまと、ふっと思う。

 人間50年といわれた時代、もう35歳で冬であった。また、まもなく北信濃の一茶から、久しぶりに彼あてに手紙が届いた。
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プロフィール

作者:福田純也
福田純也
性別:男性
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