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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その十

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その十

翌日、さっそく幕府の役人として江戸城の一室に控えた。

 真夏の江戸は、猛暑だ。じめじめとして、とにかく暑かった。
 松前と江戸、気温もだいぶちがう。そして、ロシア人に対する態度もだいぶちがう!、と林蔵は感じた。新任の小笠原守も江戸では決して甘い人ではなかったのに松前へ来ると、ロシア人に同情的になる。

 江戸から松前までも移動に時間がかかる分、単身赴任の身であるし、それよりも、はるか遠いロシアから来たゴロブニンに自らを重ねているようだ。

 ならば、もっと、日本人も蝦夷にたくさん移住させて、子孫が育てばやっと蝦夷も本当に日本の一部となるのではないだろうか。寒冷の地でも、多くで協力しながらなら、蝦夷地でだって暮らせるのだ、と思う。

 また、アイヌ人女性のノンノのことを思い出す。ノンノとは、今回の松前滞在中、最後まで会えなかった。エゾ地は広い、どこにいるのだ!南端の松前だって、少ししか日本人はいない。箱館は港が大きく、少なくても常時一万人の日本人がいるが、エゾの中では南の一点にすぎない。

 舟乗りは西廻り、東廻りと箱館や松前までくるがみな内地の男たちばかり・・・みんな、さびしいのだ。やはり、奥とはやはり女かもしれん、俺も日照りだ!

 そんな事を一人江戸で宿にとまって考えるとと、何かむなしい気になるが、またもう一人の自分がでてきて、自分を叱咤激励する。

 とにかく、幕閣の要人にきちんと報告しよう。ロシアの来航、武力で追い払うべきだ!と思うと、城内の控えでまた主張を続ける、と少なくとも、松前より離れているだけに、みな、なんとなく賛同しているようにも感じた。


 8月になると、また国後島に異国船が来航してきた。水をくんですぐに帰ったとのことだったが、ゴロブニンたちの奪回に来たロシア艦と断定された。その船は以前、漂着した日本人の舟乗りも上陸させたとのことで、その日本人は、会所にいき、ロシア艦のことを説明した。

 やはり艦はロシアの艦で艦長はリコルドという大尉であった。この人は、前年国後にきたディアナ号の副長で、捕らえられたゴロブニン少佐の釈放を求めて来航したようであった。

 また、この日本人の他、漂流民が6人いて、うち一人は5年前に、フォストフ大尉指揮のロシア艦に連行された択捉島の会所の番人、五郎治が乗っているとのことである。

 リコルド大尉の書簡と、それを五郎治が訳した和文(2通)の書状を持っていたので、松前に急いで運ばれた。

 そのロシア文はゴロブニンと少佐、一緒に捕まっていたムール少尉にも見せられた。また、通詞の上原熊次郎が通訳した。

 国後島では、返答がなかなかないことで、ロシア艦はいらだっていた。また、日本人を捕らえようと企てたら、そこに奥蝦夷地方の最大の海運業者である高田屋嘉兵衛が乗っていた舟が国後に近づいたので、リゴルドはすぐに捕まえて連行した。 

 それでゴロブニンが本当に生きていることがリゴルドにも伝わると、ロシア艦は、一旦、高田屋嘉兵衛他5人を捕虜として、カムチャツカに向け、引き上げていった。

 捕虜にならず、釈放された日本人もいたのですぐに(といっても、数日間かかったが)松前に伝わり、その後、早飛脚で江戸にも伝わっていた。

 そうなると、幕府も林蔵に意見をきくことが増えてきた。林蔵は、内心、不謹慎ながらも、自分の出番がまたきたな!と思って、ワクワクしていた。

 高田屋嘉兵衛は、淡路島の出身ながら、蝦夷の豪商となった実力者である。当然、漢文の素養も、他の漂流民よりすぐれているし、そういった人物を捕虜にしたことでロシアはゴロブニンとの交換を提示することは確実であった。

 林蔵は、すぐに釈放(捕虜の交換)には反対していた。意見を求められると、まず、強硬処置こそ不可欠、それに、もっと日本人を増やすべきでないかと言ったり、江戸にいる無宿者(乞食)もどんどん蝦夷に送って武装させるべきだとも言った。

 彼自身、もとは農民であったがゆえ、ある程度わかっていたが、そういった者は元は地方で農民だった者が食えなかったりして奉公にだされたりして、江戸に流れついた者である。それで江戸の町人が増えているとも言えた。

 彼らに酒と、もっといい食事を用意させる代わりにエゾで耕作させながら、兵士としてきたえさせるべきだと説いたが、幕府はそういった考えには消極的であった。

 林蔵は、江戸幕府はいつも東北の藩に命じている。せっかく蝦夷地直轄にしているのだから、江戸の将軍の直属の家来、旗本や御家人が行くべきだし、それができないなら、江戸の無宿人を鍛えろと思ったが、俺のような成り上がり者が増えるのは、やはり時期早いかな、と思って黙った。

 それから、林蔵はまた松前に派遣されることになった。ずっと江戸にいても、暑いし、飽きてくる、どうも、一人、一箇所に定住するのは苦手だなと思うと、また喜んで、北へ向かった。
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プロフィール

作者:福田純也
福田純也
性別:男性
男性

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