林蔵が、自分が、12月末日に江戸を出立したことをつげると、貞助は、昨年夏に江戸にいって、伊能忠敬の家で会ったことなどを、なつかしそうに言った。
「伊能様は11月末、九州へ出立されました。もう67歳なのに、元気ですよ、すごいですね」といった会話から始まると、やがてロシアのゴロブニンのことなどを聞き始めた。
「すでにロシア語を習得されているようですね」と林蔵が言うと、いえいえ、アイヌ語の通詞、上原熊次郎がロシア語もやっていて、私はその助手にもまだまだとても、無理ですよ、と謙遜して答えた。
貞助と熊次郎の2人につれてもらって、大きな建物に招いてもらうことになり、いよいよロシア人と林蔵もあることになると、彼自身、興奮してきた。武者震いをしている。ロシア人は六尺のでかい人間というけど、どんな奴かな!と思う。
建物のまわりに、見張りの津軽藩兵が数名立っていた。
「カピタン(船長)のゴロブニン殿です」と熊次郎がいった。また、熊次郎はゴロブニンにむかって、首府(江戸)から派遣されてきた間宮林蔵という測量の専門家です、と言うと続けた。
「江戸の幕府では、蘭方医の勧告に従い、危険な壊血病の予防薬を少しばかり、この方にことづけて寄越しました」と続けた。
薬品というが、みかんの汁2瓶と、みかん数十個、あと薬草、奉行所からの粉砂糖や、砂糖煮である。
18世紀後期、ハワイで殺されたイギリスの探検家クックも、レモンなどたくさんのかんきつ類を船に積みこんで長い航海したことで、壊血病の病人がだいぶ減っていたし、オランダ船も同じ対策をしていた。
ロシアも同じように対策しているだろうし、今回ロシア船も長期航海であるから、ゴロブニンたちにも、きっと役に立つだろうと思っていると、やはり相手もわかったのか、表情が明るくなっていた。
まずはよし、では座るか、と思い近づいた。
通詞の隣に座り、向かいに林蔵が座ることにした。
「身体の具合はどうか」と林蔵はきいた。
熊次郎が通訳する。すぐには伝わらなかったが、くりかえし訳すと意味がわかったようである。
「最初は不安だったし、食事も慣れず苦痛だったが、今は良くなっている。それに今回のオレンジを見ただけで、うれしい。このおかげでもっと元気になれそうだ」とゴロブニンは言った。
次は貞助とゴロブニンが話しをして、松前の町を散歩できるのでうれしいと言ってます、と貞助が説明した。それから30分くらいお茶をのんで話をした。
また、その後も、林蔵はゴロブニンのところに果物をもってきては話をした。ゴロブニンは、たどたどしい通訳ながら、前より慣れている感じがした。
ゴロブニンの様子をみて、林蔵はいろいろなことを思った。まず、何回みてもロシア人とはやはり大きいなァ!と思い、それと、毛が濃いな、とやはり感じた。俺はオランダ人のこともみたことがないが、やはり、こんな姿なのだろうか?と考えた。
当初は、アレクセイというロシア語のわかるアイヌ人を交えて、アイヌ語で通訳するつもりだったが、蝦夷地のアイヌ語と千島のそれもエトロフより北のウルップ島以北のロシア側の千島のアイヌ語がちがっていて全く通じなかったと言う。
アイヌ語も、日本のように方言が各地にあることは樺太、エゾ、エトロフといずれも行っていた林蔵にはよくわかっていた。アイヌ語を使ってやるなんて面倒くさいことをせず、光太夫殿か、一緒に漂流していた磯吉殿を江戸から呼んだらもっと早くロシア語ができるのだから、楽に通訳できそうだが、何故やらないのだろう、と林蔵はゴロブニンを前にすると、益々感じた。
俺も江戸で、出発前の時のように訪問したが、光太夫とその妻はすでに旅にでているとのことで会えなかったが、交渉をするなら光太夫殿か、もう五十路で身体が弱っているなら、まだ若い磯吉殿がくればいいのに、それもない。
江戸の幕府はわざとロシア人たちを試して泳がしているのかもしれんな、と林蔵は思った。ゴロブニンも実は少しは日本語もわかっているかもしれない、と。
すなわち、光太夫殿が入ればそれをしらべることもできないから、わざと通訳と下手な素人にして、相手の様子を探るということだ。実際、光太夫殿たちが漂着する前にもイルクーツクに日本人漂流民による日本語学校はあったと言うし、それに光太夫殿が帰国された時、現地に残った人もいるときいた。彼らがゴロブニンに会話くらいなら、教育できたはずだ。
アイヌ人のアレクセイはともかく他のロシア人も、日本語が実はわかるやもしれんな。でもわざと知らないふりをしているかもしれない。
彼らは国後島で逃げようとしてあっさり捕まったとのことであるが、実はわざと捕まろうとしていたかもしれない。蝦夷地の最大の町、箱館や松前をさぐるために!、と林蔵は一人、頭の中で想像をめぐらせた。
ところが現地の松前奉行は彼らに同情的で、散歩まで許すという。江戸の幕府の要人は、松前の奉行が、ロシア人の彼らに騙されているかもしれないと不安に思って、俺をここに差し向けたにちがいない。
そうだ、やつらがもしロシアの間者(スパイ)で、蝦夷の街で捕まって調べるなら、こちらも、いろいろきいてみよう。当然、千島の測量をしていたと言うし、測量のやり方等、きくか、と林蔵は思った。