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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その五

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その五

翌朝、松前奉行所に出向いて、幕府の役人として、あいさつをした。

 まわりの奉行所の役人たちが、自分に対して大大名のような応対をしていて、逆に気をつかってしまう。俺、そんなに偉いのかな! 最高だけど、何だかすごくみな、俺に遠慮している。だけど、こういうのに喜んでは俺はおわりだ。

 俺にとっての、奥の細道はこれからだ、と思って奉行の荒尾但馬守を訪ねた。

 「間宮林蔵、ただ今来着致しました!」と元気な声でいうと平伏した。

 但馬守は、微笑んで言った。

 「元気そうで何よりだ、蝦夷は寒いだろう、もっとも、お主にはたいしたことないかもな」

 その言葉を受け、林蔵は一瞬、微笑んだが、すぐに真顔に戻って、ゴロブニンと接触し来航の真意をさぐるようにという幕命を受けたことを伝えた。
 
 「ゴロブニンたちを数回吟味したり、また食事を催しながら、いろいろと問うてきたが五年前のロシア船とは違って、自分たちは皇帝の命令で調査しただけとのことで決して乱暴をすることはないと言っている。私もここは彼らを許して、釈放してほしいと江戸へ嘆願書を出した。いたずらにロシア人を怒らせたり恨みを与えるのはよくないからな」と、但馬守は言った。

 但馬守は前年の8月に松前に拘禁して以降もゴロブニン以下七名のロシア人とアイヌ人の通詞のアレクセイの処遇について説明した。最初は獄房に収容していたが、春になったら、監視付で散歩くらいは許してやろう、と思うと言った。

 林蔵はゴロブニンたちがこれで段々、日本に対して警戒心をといてくれればいいですね、と言うと続けた。あとはやはり、壊血病にかかる者がこの蝦夷には多いし、その治療薬を持っていくということで、彼らに近づいたいのですが?、と申し出た。
 
 但馬守は、「私からも砂糖と蕃椒の砂糖煮を以前から少量届けてやっているから、またこれもあわせて届けてやればよい」と言った。

 ロシア人たちは、エトロフや国後島のアイヌ語はすでにわかっているが、蝦夷地のアイヌ語と違うようで、通訳がうまくいかず、けれどねばり強く身ぶり手ぶりも入れて、何とか通訳しているようであった。
 
 そして、林蔵の樺太での記録をうまくまとめた村上貞助が、ゴロブニンからロシア語を習得してきているとの事であった。

 林蔵ももともと貞助の能力の高さ、勉学へのすごい好奇心は知っていたが、もうロシア語までやってるとは、貞助殿、俺にはあまり言ってなかったけど、実はオランダ語の方もやっていたかもしれんな!あの人は、さすがに死んだ先生の村上の養子になるだけのことはあるな!と思った。

 林蔵は、すぐにでも貞助に会いたい、と思って、奉行所内で、その姿を見つけると、貞助も再会を喜んでくれた。
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プロフィール

作者:福田純也
福田純也
性別:男性
男性

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