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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その二

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その二

7月4日、7月22日と2度、取調べがおこなわれ、以前、林蔵も遭遇したロシア艦のエトロフ島、樺太などをおそったことの追求は特に行なわれたが、日本を攻撃したかなどの質問に対しゴロブニンは、今回の事件はロシア政府と関係ないし、我々はレザノフと首都のペテルスブルグで会ってもないし、ロシア政府は全く関与していない。むしろロシア皇帝はこのような行為に怒り、ロシアの指揮官フボストフは捕らえられたが、逃亡中に死んだと答えた。また、エトロフ島で捉えられた日本人二名はロシア船で運ばれて、オホーツクに住んでいたが行方不明になっているなど応えた。

 ゴロブニンは、また、「日本という国は、ヨーロッパではあまり知られていない極東の狭い国である。日本の部落が2、3、小さな商船の勝手な攻撃を受けたからといって、ロシア皇帝の命令をうけずに勝手に行なわれたことなど知らない」とこたえた。

 しつこく日本側が何回も、その質問から回答をひきだそうとしたがやはり、同じ回答であった。その結果やはり、ロシア側のレザノフの私的な恨み(長崎で数ヶ月も待たされた上、結局、日本側より通商を拒絶された)ということからの報復と結論づけられた。

 ゴロブニンたちには、その後も日本人からの質問攻めがあったが、8月25日、箱館から松前へ移送され、獄舎にじこめられた。

 江戸の林蔵にもまもなく10月に入ると、松前へ出発するようにといった幕府の密命が入った。伊能忠敬も、同じ時期、方角は逆の九州へ測量の旅である。

 11月に入り、江戸は寒くなった。旧暦、11月大寒、北国できたえあげた林蔵は、それでも平気ではあったが、やはり、久しぶりにいく蝦夷は寒いだろう!油断しないで行くぞと思った。それに俺がまたエゾに入るのは、やはりロシア人と引きあわせるためだろう。ロシア人自体、間近でみるのはまだないけど、どんな奴らかな、と気になっていた。

相手は、獄舎にいるし、それにロシア語の通詞もいるみたいだが、日本の漂流者から習ったのかな、きちんと意志の疎通ができているのかな、と気になった。一度、江戸でまた光太夫殿に会って、ロシア人やロシア語についてききたいな、と思って、また使いの者に手紙を書いて出そうと思ったが、また旅にでていて残念ながら留守であった。

 もしかしたら、江戸でもゴロブニンたちの噂が広まりすぎて、幕府か奉行が、ロシアに長く漂流していた光太夫殿のところに江戸の蘭学者が再び大勢で訪ねてくるのを警戒したかもしれんな、と思った。江戸の蘭学者は実際、オランダ人とも彼らが江戸の将軍のところにあいさつに来る時くらいしか接触をできないから、ここぞとばかり集まる。

 長崎のオランダ人のいる出島は、4000坪くらいの人工島にいて、普段は長崎でも役人や遊女以外あまり接触できない分、江戸ではうんざりするくらい来訪者がオランダ人の宿泊する長崎屋にでむいて大変混んだという噂を思い出した。

 漂流民光太夫は幕府の管理下におかれているし、ロシアの話題が、ぞくぞく庶民に広まれば、それを恐れた幕府がまたどこか、例えば箱根の温泉や、お伊勢参りや帰省(光太夫は伊勢白子の出身でもあるし)につれだす可能性は考えられた。

 幕府がつれだしたという形にしては、また匿名でどこかから幕政への皮肉の狂歌や川柳がはやるやもしれない。ロシアにちょっと攻撃されてもうバタバタしているのは幕府の権威をゆるがすようであるし、かと言って、民間の蘭学者に、蘭学の素晴らしさを証明されたりするのも嫌だから、あまり入り込んでほしくないこと、それが異国の存在だった。
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作者:福田純也
福田純也
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