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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その三

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その三

結局、林蔵の出発は、12月のおわり、年末となった。幕府から、樺太から大陸の韃靼まで調査したことで特別に百両(一両が今の価値で10万円~15万円と言われている)も下賜されたこともあり、少しではあるが身分も高くなり、百姓出の自分の出世を報告すれば、両親も喜んでくれると思うと、寒い中、心は晴ればれである。

  強い風、本当寒いが、この道中、百両もらって、胸はほかほか

 うーん、やはり柄じゃない、よんでみたけど、こんな句は人に言えない。親の前なら詠んでもいいだろうけど、と思うとまた道中を歩いた。

 千住大橋を渡り、亀有から舟で渡り、また進んで新利根川を渡し舟で松戸につき、我孫子まで歩き、また利根川を渡り、取手で宿をとる。川ばかり、でも、小さい川ばかり、利根川でさえ、アムールに比べると小川、ならば、そこから分かれた川は小さいなァ、と実感してしまう自分がいた。翌朝、さらに進んで小見川に立つと、両親の実家に向かった。

 百姓だった自分が今は大小の刀を帯び、立派な羽織を着ているせいか、まわりは、やはり、頭を下げてくれた。しかも今回は懐中に百両である。気持ちが高ぶっている。

 ついに実家についた。そして、両親をみた。林蔵は感極まってじーんとなってしまい、両親と共に抱きあってしまった。

 江戸であらかじめ、何とか正月には村につく予定です、といった内容の文を出して飛脚に依頼していたが、2年以上久しぶり、両親は、お役目もあるから仕方ないと言ってくれたが、樺太から松前を経て江戸にもどる際、立ちよってやれなかったことを申しわけなく思った。

 でも、あの時は、東韃靼へ行くことをとがめられる恐れもあり、また、探検の後、江戸にもどる最中は、大陸に渡ったことを咎められたりするかと気になったりして、何回も寝込んだりしていたし、かえって両親を心配させただろう、ならばこれで良かったんだと納得した。

 林蔵は、今回、誰もが行ったことのない奥地への探検のほうびとして百両おもらったと言って、懐中からとりだすと、両親は、そんな大金、手にしたこともないので驚いてしまった。彼が旅の道中で詠んだ歌を披露すると、百両ももらえば、夏みたいな汗がでるよと母がいった。それは冷や汗だなと父が言って、3人で笑った。

 酒がうまい。できれば百両もらったし、俺は一人っ子だし、なおさら、もうここにいたい、とも思った。そうできたらうれしいが、なのにもう残念ながら、ここで親孝行はできない、これからまた出発だ、でも武士としてこれからも自慢の息子になれるよう頑張るから許してください、と言おうと思ったがうまくつたえられなかった。それに、両親は、すでに察しているようで何も言わず、ただ、よかった!と喜んでくれた。

 林蔵は両親に、生前に墓を建てると長寿を全うするからと言って、墓を建てることにした。

 お寺に入って、故郷に自分のお墓を建ててもらうよう依頼し受理されると、心がほっとしていた。江戸にいようが、蝦夷地にいようが俺はここの人間だ。俺の故郷だ!と叫びたくなる気持ちになった。

 それから、まとまったお金を父に渡すと、また、役目がおわったら立ちもどります、といって、旅仕度をして、家を出た。
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プロフィール

作者:福田純也
福田純也
性別:男性
男性

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