第八章 ゴロブニン、ご浪人?
ドーン、ドドーン、ドドーン、ドコーン、と爆破したような大きな音がした。ある日久しぶりに家にもどって昼寝していたが、林蔵はこの音で思わず目を覚ました。外へ出ると、夕日は沈み花火が夜空をまっていた。
花火はきれいだ。だが、この音は!?と林蔵は思った。昔、エトロフ島でもきいた、あのロシア艦の大砲の音と何となく似ているようで、択捉島のシャナ会所でのことを思い出した。嫌な思い出が脳裏に蘇る。
初めての戦場、そして、戦さもせず、すぐに全員、責任者の戸田の命令で逃げ出した。自分は反対したが、そのせいで、罵倒された。でも、それがあったから、樺太に探検したり、大陸に渡ることもできた。人生、なにが起こるかわからない、林蔵は思った。
実のところ、花火の音とは違うのだろうけど、あんな大きい音は、他にはない。ロシアの船がまた択捉島や国後島に来たという話を、先日、忠敬の屋敷できいていたから、余計、あの爆音を思い出したかもしれなかった。
なんでも5月下旬、またロシアの船が南千島測量のためと称してやってきたところ、ここに集まっていた船員を捕縛したとのことであった。林蔵は、ホント、しつこい奴らだと思った。シベリアがそんなに広いならそこで開拓していればいいのに、なんで、海を渡ってわざわざこんなところまで来るんだ。シベリアは樺太より北だから、寒すぎるし、開拓しようにもできないのかな。だから、海に出たいのだろうか、等と、林蔵は、測量の大家、伊能忠敬の弟子達や訪ねてきた客人と噂話をした。
なんでも捕らえた人物が、ロシアの軍艦艦長で、名はゴロブニンだが、当初は、ごろうにんともきいていたので牢人みたい、名前通り、わざわざ日本の牢に入りたいから蝦夷地まで来たのかなとか、笑う者もいて、忠敬の屋敷内でも持ちきりであった。
どうもオホーツクから千島までの距離の調査測量のために来たが、船内で食料や飲料水など不足していたため、日本側が千島を行き来しているアイヌを介してロシア人の願いをきくと、日本側は責任者が上陸すれば与えると回答した。
そしてゴロブニンが降りてきて、会所へいれると、焼き魚と酒をだして、接待をした。ゴロブニンは、繰り返し食糧、水、薪木などの譲渡を願い出たとのことであった。
日本の役人は「自分は松前奉行に従属する者で、奉行の命令がなくては何一つ供給できません。ついては自分の報告に対して、奉行の裁決が到着するまで、みなさんのうち誰か一人人質としてこの陣屋に残って頂きます」
「では松前に報告書を送って回訓を得るのに何日かかるか」とゴロブニンが尋ねると、日本側は、「15日」と答えた。
ゴロブニンは、「本艦に残してきた士官たちと相談しないではそんなに長く待てないし、また士官を残して行くのは嫌です」と言うと、その場を立って帰ろうとした。すると、日本の役人たちもびっくりして一人でも会所からでれば自分は腹を切らねばならない」といったが、ロシア人たちは逃げて、小舟にのろうとしたが、干潮で小舟は、海面よりずっと陸上にあり、そこへたくさんの日本の藩士が囲んでとらえたとのことであった。
会所では、ゴロブニンと他七名のロシア兵を捕らえると、舟で根室まで送り、陸路を通って、七月二日に箱館まで護送したとのことであった。ロシア側のゴロブニンは、後、日本幽囚記という長い記録を残しているが、護送の際、日本人はかなり関心深く、また好奇心がすごく、ロシア人にロシアについて等、質問してはメモと書き留めたとのことである。
そうして日本人が得た情報は、蝦夷地だけでなく、海を越え、人口百万を超える江戸市民にまで伝わり、さらに江戸在沖の武士が参勤交代で諸国に帰ることで、武士階級ならば九州や四国までも伝わっていた。