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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その三

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その三

樺太を海峡に沿って南へ南へと行くと、ついに小さな集落、ラッカへ着いた。

ラッカは、一年とちょっと前、松田伝十郎と共に樺太の南から向かって、やっとたどり着いた場所でもある。林蔵は各地の散らばる集落を海岸から見てもすぐにラッカとは解らなかったが、さすがにニヴフ人のコーニたちは、区別がすぐつくようで喜びに満ちていた。ここまで来れば、コーニたちの村落のあるノテロももう遠くない。

 ただ林蔵はこのころから、またさびしい気持ちになった。うれしいはずだが、もうこれでコーニたちとは一生涯会うこともかなわないかもしれない。ここまで世話になった。確かにこちらもたくさんの煙草に酒も提供したけど彼らからもらった恩恵は、お金や物では買えないくらいかけがえのないものだ。彼らは無事帰れてうれし涙であったが、林蔵も涙が出そうになった。

 もっとも彼らにとって交易朝貢はいつものことだから、当然なのだろうけど、いつか、彼らにも宗谷まで、いや松前までも来てほしいという気持ちまでなっていった。ただ、これは無理な話である。エゾ地までも未だいかない我ら日本人に、樺太まで来れるか、樺太も北へいけばいく程遠く、行きにくい、彼らはそれに苦労してデレンに行くのはできるだろうけど、南はアイヌ人がいる。
 山丹人は横暴だがニヴフ人はちがう。アイヌ人との間も、お互いに自分たちのなわばりをわかっているようであった。

 ほどなくしてノテトについた。家にいた者がみな海岸に集まり、舟は港へあがった。
 ノテトにもっといたいとも思ったが、そうも言ってられなかった。なにしろ、短い夏はもう終わりに近づいていた。

 ただそこから今度は、林蔵自身が南へ戻るため、新たな舟を探さなければならなかったが、コーニのおかげもあって村人で狩りをするため暖かい南へ行く者がいるとかで、これに乗せてもらうことになった。

 旧暦8月11日(今の9月下旬)ノテトを出る。

 コーニはもちろろん、村中の者が見送りにきてくれた。コーニが日本語で、「ゲンキデナ」と言ってくれた。林蔵は、コーニに持っていた所持品として日本の小刀を贈った。もう2度と会えないけど、ついつい肝心なところで、口は勝手に嘘をつく。いつか、また来るからな!と、思わず、口にした。

 舟は岸を離れると、お互いに手を振った。それから、コーニたちの姿は見えなくなった。
 また野宿の繰り返しである。狩りに来たニヴフ人たちが、途中、獲物をとるために舟は止まったが、それでも、だいぶ南へ進み、数日後、トンナイまで着いた。林蔵は最初からまだ残っていた酒や煙草をあげた。

 南のトンナイまで送ってもらうと舟はまた北へと去っていった。

 トンナイは樺太南部であるから、もうアイヌの村落である。アイヌは林蔵にとって日本人と同じように感じた。顔つきは和人と違えど同じ蝦夷地にも住んでいるし、ここは日本の影響下である。以前、北から帰したアイヌ人もやってきて、再会を驚きながらも、歓待してもらった。

 アイヌの舟がここから南へ出ているので、あせることはない、そう思って待つ余裕もできたが、今度は、樺太を離れることにさびしさもあったかもしれなかった。 

 もうここまでくればあとは最南端の白主までも遠くない。数日、歩いて白主にも行けそうだったが、ここでまたあせって倒れるわけにもいかない。ゆっくりと待とうと思って待ち、しばらくはアイヌ人の家で泊まらせてもらい、彼らの漁を手伝った。

 九月に入り、ようやくアイヌの南へ向かう舟にのれた。トンナイと白主を往復している舟で、また野宿して、南へ、南へ、そしてついに15日に白主へついに着いた。
 
 一年と二ヶ月の見聞は終わりをつげた。
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プロフィール

作者:福田純也
福田純也
性別:男性
男性

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