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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その二

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その二

「何!、お奉行から樺太に行けといわれたのか!」と村上島之允も驚いて尋ねた。
 
「はい、これから江戸に行き、また向こうで吟味を受ける身ですが、私の場合、どんなに重くとも数ヶ月、吟味のために入牢するくらいで、蟄居や遠島のような処分もなく済むだろうとのこと。入牢が長引いても、測量家の伊能忠敬様とも面会できるよう書状を用意して頂けることとなりました」

「そうか、良かったな。だが樺太は蝦夷地よりさらに奥地、生きて帰るかわからんぞ。択捉のシャナのときはまだ200人と一緒にいたが、今度は共の者がいてもせいぜい数名、それもアイヌ人。それに蝦夷よりもっと北の樺太。常に死ぬ覚悟がないとなァ…」

「はい。十分承知しております。ただ、今回はもし行くとなれば、もう一人松田伝十郎と言う方について、一緒に行くことになるだろう、とのことです」

「おぉ、伝十郎殿は知っているぞ。たしかお前と同じで、元は越後の百姓だったのだが、幕臣の松田家に仕えてそのまま養子になった方だ。しかもお前よりずっと前に択捉のシャナに赴任していた方で、北方の事情にはかなり詳しい方であろう。
 それにお主よりずっと年上だが、身体の丈夫な方で、蝦夷地でも病気になったことがない方と聞いたことがある。もうそこまで考えていたとは、函館奉行はやはり北辺の事をかなり気にされているようだな」
 村上はそう言うと、フーとため息をついた。

 林蔵も、気合の入ったような顔を浮かべると「江戸で吟味を終えた後、ロシアで漂着されていた大黒屋光太夫殿の元を訪ねることにもなっております。村上様と同じで、もとは伊勢の方でしたね」と言った。

「光太夫殿とも会ってロシアの事を教えてもらえるわけか。ますます幕府はロシアの事を気にされているのだな。まあ、200年続いてきた太平の世が、北辺で犯された今、今まで体験したことのない時代になってしまった。
 私も江戸勤務を命じられた後、一度、光太夫殿とも会うことができたのだが、ロシアのとてつもない広さに驚き、陸路でのロシア人の移動方法に驚いたものだ。そちがロシアに行きたいといった時、そちも私に言ってたが、私もまっさきに光太夫殿のことを思い出したよ。なんでも、ロシア人は、シベリアにいる大きな鹿(トナカイのこと)や大きな犬を十頭くらい用意して、そりを漕がして凍った大地を一気に駆け抜けるとか言うし、樺太よりずっと北のオホーツクと言う港から長い道がずっと内陸に続いているそうだ。樺太あたりはまだ北辺は清国人がいたり、まだロシア人は本格的に来ていなかったようだが、我らも油断はできぬな」と厳しい表情で言った。

 
 林蔵は村上の泊まっていた旅籠を離れると、益々気持ちが高ぶってきた。ロシアには、元禄の頃(1700年頃)から漂流民が何回も流されていたが、無事、日本に帰国できたのは、天命2年に(1782年)伊勢から江戸に向かう船が嵐で流され漂流し、11年後の寛政5年(1793年)に帰国できた大黒屋光太夫と部下の磯吉が初めてであった。だが、すでに幕府の上層部では、彼らからたくさんの情報を当然、聞き出していた。光太夫殿は、伊勢白十の浦の船乗りだった人で江戸に向かうはずの船が荒波にのまれ遥か北まで漂流した方だが、もともと浄瑠璃の芸にも精通したり、さらに漢学の教養も豊かで、ロシアでの漂流生活についてかなりの記録を残している人でもある。そういう人がすでに近年、ロシアの首都まで行かれているなら、俺が行っても残念ながら及ばないかもしれない。それよりは、まだ誰もが未知の樺太に行く方が自分にはいいかもしれないな、しかも、半島か島か、それすら不明なところの測量をするならば特にやりがいがある!と思った。

 まもなく、林蔵はシャナ事件の逃亡者として他の責任者と共に江戸へ護送されることが正式に発表された。そして、函館奉行所は函館の西の松前に移り、松前奉行所となった。
 奉行の高橋重賢から、お前の罪はかなり軽い、心配するなと言われたものの、他の逃亡者たちと一緒に一ヶ月近くも抑留されて、彼の気分はまた暗くなった。

 それから船で津軽に入り、ここからいよいよ江戸まで陸路、よし行くぞう!と緊張しながらも気持ちを込め、奥州を南下していったが、蝦夷よりも南にあるはずの奥州は、大寒の時期、蝦夷よりもずっと寒く感じられた。南へ進めど進めど、北風が自分たちのことをどこまでも追いかけて、追いかけて、追いかけてぇ♪、雪国であった。樺太へ行く予行演習をしろと言う天命かも、それにしたって今年の冬は異常じゃない、早く白河の関を超え関東へと行きたい、と林蔵は思った。
 だが、そんな林蔵の思いとは違い、他の抑留者の多くは、江戸での過酷な処分を怖がりわざと病身を装っているのか、あるいは心労の疲れから本当に病気になってしまったのか、足取りが重く、林蔵は、益々イライラするのであった。

 師走ももう少しで終わろうとする頃(今の2月の最初頃、まだまだ寒い時期)やっと江戸入りしたが、寒さの中、彼ら一行は松前会所という所に収容された。
 それから、また、どれくらい待たされるか、俺の吟味も間違いなく正月後、外では桜の咲く頃かもと思ったが、林蔵と医師の久保田見達だけは、まだ師走の年内に吟味を受けることになり、収容された翌々日には、まず林蔵が江戸の南町奉行所に連れていかれた。吟味直前、また不安を感じて、胃腸の調子が悪くなったようで厠に何回も入り、顔色まで青くなったが、いざ吟味が始まると、開き直りであろう、函館奉行所で話した通り、自分は退却に反対したことを必死に涙ながら伝えた。やばい、泣くな、馬鹿!、男だろと自身を叱りながらも、熱いものがこみあがり、興奮状態、どうにもとまらない♪!自分がいた。
 だが、すでに、早飛脚の手で松前から江戸の南町奉行所へ林蔵の罪の減刑、恩赦の嘆願書が届いていた。(もうよい、お前へのお咎めはない。安心せい!)と、言われると、ある程度期待していたはずなのに、涙がとまらない。頭を下げて泣きながらお白洲を出る。ああ、上を見上げると、乾燥して寒いけど、晴れた空がきれいだった。奉行所の外へでると、数人の大工が寒い中、歌を歌いながら元気よく作業をしている。ああ、(晴れたる青空、ただよう雲!)。良い年越しだ!、なんだか俺まで大声で歌いたくなりそうな気分だ、ほっとしてとたんに空腹を感じ、温かい蕎麦でも食うか、と思った。よし、と声をあげると、林蔵は、これからいよいよ誰もが知らない奥地に行くんだ!と気持ちを切り替えた。
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プロフィール

作者:福田純也
福田純也
性別:男性
男性

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