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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その六

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その六

ウトニンは林蔵たちを温かく遇してくれ、集落のアイヌ人たちも親切だった。林蔵がアイヌ語で御礼を言うと、「以前、ここに来た日本の役人にたくさん酒や米、煙草をもらって、すごく親切にしてもらった。芋の種も貰って植えている。日本語も少し習ったよ」
と言った。林蔵は松田伝十郎様だなと思った。

 松田さんはやはり西海岸を進んだ時、アイヌ人たちと友のように接していた。彼らはそのことをすごく感謝している。でも俺は彼らをあせらせた。まだまだ俺はダメだなと思った。

 松田伝十郎に比べると、どうも目先の手柄に執着している。俺の生まれ持っての性分とでもいうべきか。まあ、俺は松田様よりずっと年下の弟みたいな存在だ。アイヌの酋長、ウトニンにも感謝しよう、と林蔵は思い、ここで少し休んで、また波の静かなときに南のトンナイに引き返そう、と思った。
同行のアイヌ人たちも、せっかく集落に着いたことだし、ゆっくり休みたがっていたので、まず、ここで、彼自身も集落の現地人と共に狩りや海でアザラシを捕まえたりするのを手伝いながら、ここまでの経過をまた記し、また、絵を描いてまとめた。幸い、山丹人が再び来ることもなかったが、ウトニンに寄ると、たまに、短い夏を中心にたまに大陸から狩猟をしに来るらしかった。だが、普段、リョナイの集落までは襲ってくることはめったになく、アイヌ人が舟で数人移動している時にやって来るらしかった。林蔵たちの場合も、少人数で野宿していて、しかも食糧を持っていそうだから狙われたんだろう、と、憐れんで言った。林蔵は、野宿ばかりでなく、集落が近くにあるときは、なるべくそこへ入って仲良くしよう、と思った。
 
  10月(今の11月中旬)になった。林蔵自身、月が変わったこともあり、そろそろ移動したいと言う気持ちがおきてきた。だが、『霧で見えなかった対岸、今度こそしっかり見たいので行かせてください!』と、俺の方から宗谷でお奉行様に頼んだくせに、結局引き返して、駄目でした、と宗谷まで戻ってはやはり情けない。いっそのこと、樺太が寒いといっても、ロシアのシベリアをそりで進んだ大黒屋光太夫様よりも、ずっと南なのだし、ならば北にまた向かって一番狭い海峡の凍った海の上、氷の上を通って、大陸に渡ってみたい気持ちまでもしていた。でも中途半端に凍っても困る。寒くなるなら俺たちが重い荷物を運んでも大丈夫なくらい思い切り、凍ってほしい。だが、当たり前のことだが、そうなるとやはり、とても耐えれる寒さではないだろう。同行のアイヌ人は、ただでさえ南に戻りたがっているのに、そんな俺と誰も同行など決してしてくれないだろうし、俺も凍傷で間違いなく死ぬ。
 それに、海を見ていると日々寒くなっているのに全く凍るそぶりなく、なかなかしぶとかった。ひどく荒れた波のせいだ。そう言えば宗谷も、冬は流氷が流れていた。でも、アザラシが乗れても、人がその上に立つのには耐えられない、実に中途半端な氷だった。

 もはや波は荒れ、北は勿論、南へも舟をだすこともかなわず、もはや狩りや漁もできなくなり、米等の食料はだんだんと減っていた。ウトニンは何も言わなかったが、どうやら集落の現地人のアイヌもやはりギリギリの生活をしているようで、こうなったら、やはり南のリョナイよりも大きな集落のあるトンナイへ54里(212km)を行くしかないと思った。だが、あいかわらず波が荒れていて、とても舟を出せないから、仕方ないので陸路を行くことに決めた。同行していたアイヌ人に伝えると、みな、ならば早く行こう!と言ってくれた。
 荷物を一部おいて、トンナイに行くことを酋長ウトニンに伝えると、心配そうな顔を浮かべたが、彼らとてギリギリの食糧で冬を越えようとしたし、林蔵たちにいつまでもいられると困るわけで、賛成してくれた。そして、舟や道具類、煙草や酒も一部置いていくなら、きちんと保管しましょう、とまで言ってくれた。

 ある晴れた日、集落のアイヌ人たちに礼を言って、出発することになった。樺太のアイヌ人もロシアの様に犬ぞりを使うようで、林蔵たちを途中、犬ぞりで送ってくれた。犬ぞりは速く、なんと便利な、と感心しだが、5里程、進んだら、もうそこからは残念ながら道がないにも等しく、そりは使えなかった。林蔵たちは礼を行って別れると、すでに降り出した雪を干し鮭や鹿肉、酒等の食糧等の荷物をかついで、かき分けて進んだ。

 ただ、樺太の同行のアイヌたちは、南へ帰ることを喜んでいたようで、トンナイへの方向、途中途中のアイヌの小さな集落なども知っていた。時々、アイヌの家に泊まらせてもらい暖をとる。荒れた天気の日は動かず、干鮭をむしったり、住んでいるアイヌ人ととも一緒にお酒を温めて飲んだこともあった。

 移動している最中、ついに11月(今の暦で12月中旬)に入った。日本の内地も冬である。この頃になると、身体中、疲労が急速にたまりだし、彼は同行のアイヌ人と共に苦労しながら進み、歩きながら時にやってくる吹雪のような強風にあおられ、ひどい寒さと空腹で時々死も意識した。
 
 林蔵自身、ここで倒れてたまるか!あのロシアにいた光太夫殿よりもずっと南のはずだ、と気合を入れようと思ったが、現実は厳しかった。本当、ひどく冷える。蝦夷よりもはるかに寒い。よくぞ、アイヌ人もそうだが、もっと北部の樺太で山丹人やニヴフ人はこんなところで暮らすよな。もっと北のロシア人に至っては、ホント、どんな奴らなのだろうか!
 佐渡島や石見銀山みたく金や銀でもあるのならともかく、いやそんな金が埋まっていれば、わざわざ苦労して南に移動しないわな、と思いながら、今度は同行のアイヌ人に励ましてもらってようやく進んだ。
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プロフィール

作者:福田純也
福田純也
性別:男性
男性

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