日本の役人である林蔵とは決してそこは違った。山丹人に関しての恐怖感は、やはり彼ら、アイヌ人たちの体験である。一方、この冬の樺太南下の旅を耐えながらも成功したことで自信をつけた林蔵は、何とか屈強で勇気のある者を他に見つけることにした。結局、同行していたアイヌ人は6人いたが5人がトンナイに残るか、また南端の白主に帰りたがったので、希望通り引き返させた。そして地元の酋長を通じて、新たに、5人が加わることになった。幸い、また少し暖かくなり、日照時間も長くなってきだしたので、新たな者たちと、羅針盤や衣服や、トンナイで日本人である漁場の支配人からもらった米、酒、干魚等の食糧等も加え、すっかり凍った氷の上を歩き進んだ。彼自身、すっかり元気になっていたし、新たに加わったアイヌ人は皆、ガッチリした身体で歩くのが速かった。何日か、海岸で野宿をしながら進むと、まもなく、沖の方から氷がだんだんと解けだしてきたので、ウショロというアイヌ人の集落まで着くと、そこで休むことにした。
ウショロの集落に着き現地のアイヌ人の小屋を借り、共のアイヌ人も休ませながら、林蔵はここからはまた、舟で進みたいと思って、住んでいるアイヌ人から、6人と米や羅針盤等、荷物が乗れそうな舟を借りることにした。もう、これからは暖かくなる。海の氷もすっかり溶けるであろうし、時間はたっぷりある。焦らず行こう、と思った。
また、冬眠から起きてきた熊が出没しだしたこともあって、現地人と共に鹿や熊の狩りの手伝いをした。久しぶり生きた熊を実際見ると、恐怖であったが、狩りに慣れているアイヌ人のおかげもあり、彼自身、途中から積極的に弓を射て熊をし止めて、弓矢の腕も上がったような気がした。
干鮭、鹿や熊の肉などまた新たな食料をつんでウショロを出発したのは、だいぶ暖かくなった3月(今の暦で4月中旬)の始めである。ずっと、流氷が流れていて舟が出せなかったが、やっと氷も消え、波も穏やかになっていたこともあり、集落のアイヌ人に礼を言って、舟をだした。もう江戸は桜が散る頃だろうか。蝦夷の松前や箱館なら、そろそろ桃色の鮮やかなエゾザクラが咲く頃かな、いやいやまだまだだ、もうちょっとかかるかな、と林蔵は思った。数日後、舟は快調に進んでリョナイに着くと、林蔵は酋長のウトニンの家を訪ねた。ウトニンはすごく喜び言った。
「おお、よくもどって来た。雪の中、トンナイまで歩いて大変だったろう。無事で何よりだ。また北へ向かうところかね」
「はい、道具類、ずっと預かって頂きありがとうございます」と答えた。
ウトニンの家で数日滞在して、また向こうの天候や海のことなどを話しあった。
出発の準備をしたら、ウトニンはまた帰りはぜひ共、寄ってくれとやさしく言ってくれた。
昨年冬ごもりして苦労したが、こうやって苦楽を共にしたことは無駄でなかった!と思った。
ふと、彼らしくないが歌(和歌)がうかんだ。
"冬篭り したから我も 樺太の 人にはなれたか そんな気もして” と詠んだ。
冬ごもりして、樺太の人間に成れた!、そして、樺太の人たちにも慣れた!という思いがしてきた。
この歌は、無事帰着したおりに、どこかの句会ででも披露しようかな。俺らしくないけど!と、林蔵はまた思った。松田伝十郎様の影響力だろうか。極寒の中、生死をかけながら必死に歩いた時、まったく浮かばなかったけど、何故か、今ごろになって和歌を詠むとは、心にゆとりというか、自信が出てきたかも知れぬ。そう思うとうれしくなった。
また、北上を続けると、4月9日にリョナイから約65里(260km)地のノテトについた。ノテトは、昨年の樺太調査の時、やはり、松田伝十郎と再会できた場所であった。
ノテトには、以前調査で知り合った酋長のコーニがいた。ニヴフ人のコーニは、清国領の役所からも認められているようで、カーシンタ(郷長)という資格をもらっていて、清国らしい派手な布地に竜と花の模様の向こうの役人服を着ていた。
日本は清国とは長崎で貿易をしているだけだが、樺太の北部は清国の影響力があった。また、日本はこの時代、陸続きの李氏朝鮮等とは違って、清国に向かって朝貢していない数少ない東洋の国だが、別に敵対しているわけでもなかった。林蔵は、清国がこんなところまで勢力を拡大しているなら、清国人なら既に、半島か島か、わかっているようにも感じた。コーニも、ここの原住民で漢字を全く読めないが、郷長であるから、清国が間接的に支配をしているように感じた。
コーニとは、アイヌ語をまじえて親しく会話をした。
林蔵としては、以前、ラッカまでいったが海草に邪魔されて引き返した。今度こそ、うまく北へ進みたいと言った。
「北の海は浅く、しかもまだ凍っているから、待った方がいい。それに、夏でも干潮の折には浅くてダメだ。満潮になったら水量が増えて舟も通れるだろう」とコーニは答えた。
林蔵は、やった!、ならば今度こそ絶対に行ってやるぞ!と心に誓った。