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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その二

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その二

「ラッカという所までは行ったというが、更に北に進むというのか」奉行は尋ねた。

「できればラッカから、対岸アムール河の河口あたりの海も通り抜けて、波の荒れ具合もありますが、樺太の一番北から、反対の東海岸へ南下したいと思います」と林蔵は答えた。

「確かにそれができたら、樺太を一周したことになる。だが、東海岸には、ロシアの船が通っているやもしれぬ。万が一、お前が捕まって測量地図がロシア側に奪われたりしたら、それも困るが…」と奉行は言った。

「はい、今度も役人の服装は用意しますが、東海岸に出るときはアイヌ人に見えるようアイヌ服で行こうと思います。一番北に着いたら、東海岸にロシア船がいるか、現地人にも尋ねてみて、もしロシア船を見たというなら、東には行かずそのまま西海岸で戻ります。あと、西海岸は今回、松田様のおかげで測量できましたし、万が一捕まりそうになったら、その前に海にでも地図は捨ててしまっても構いません。それに私は松田様と違ってまだ独り身です。覚悟はできております」と林蔵は答えた。

「伝十郎、そなたはいかが思うか?」と、奉行は、松田のほうに顔を向けた。

「間宮殿の言うことも一理ございます。確かに今回、樺太は島であるという結論に達し、私も自信はございますが、ラッカより北上は難しく、北方の海辺と潮の流れ、あとひどい濃霧で断念いたしました。
 まだ今ならば、ロシア人たちは樺太を半島と思いこんでおりましょう。ならば彼らは西海岸の方へは来ないと思います。今のうち、島であることを掴んだところですし、さらに潮の流れや深さでどれくらいの舟が渡れるかも解れば、ロシアへの対策にもなるかとも思います。
 間宮殿は命を捨ててもとおっしゃりました。私も今回、そのつもりで参りましたけど、やはり松田家の養子として旗本の家に入った私には、独り身の間宮殿ほどの覚悟はできなかったやも知れません。その私を気遣ったとしたら、やはりお互い、無念の常がわくというもの。私からもお願い致します。ぜひとも間宮殿を再度、樺太の奥へ遣わしください」と松田も頭を下げた。

 「うむ、わかった。ならば林蔵をまた樺太に派遣することに致そう。出立の支度にとりかかるがよいぞ」奉行は認め、林蔵は平伏して感謝した。

 奉行と高橋が立ち、その後、林蔵は松田と外に出る際、松田にお礼を言った。

 「今度は一人、自分のやり方で思う存分できるだろうが、アムール河へ行くのは大変かもしれぬ。また、今回は真夏だから良かったが、次行けば、寒波もすごいだろうからくれぐれも気をつけろよ」と松田は穏やかな口調で言った。
 
「はい。確かに樺太の北部は、海も凍るでしょうね。それならそれでなんとかニヴフ人に聞いて、氷伝いで大陸に渡れるかもしれません。でも、そうなると、寒波がひどいかもしれないから、やはりその前に行きたいですね。寒さと食料の問題、これらをなんとかしたいですけど、今からすぐに出て、ラッカのあたりまで何とか行ければ、と思います。松田様と一緒に行けたおかげで、少しは恐怖が減りました。ありがとうございます」と頭を下げた。

 
 すると松田は、ふと、小さな紙を渡した。そこに和歌が一つ詠まれていた。

 “北の奥、真夏も春か 樺太へ 戦友孤軍 祈る成功"
 と詠んであった。
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プロフィール

作者:福田純也
福田純也
性別:男性
男性

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