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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その三

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その三

「松田様、これはいつ詠まれたのですか?」林蔵は松田が歌を詠んできたので、すこし驚いて尋ねた。

「先程、奉行所を出る際、硯と紙を借りてな。どうも樺太では、こんなことをする余裕は全くなかったのだが」と、松田は苦笑いを浮かべた。

「松田様は、以前和歌を詠まれたりしていたのですか」

「以前はは全くなかったがね。ただ、漢詩や和歌、俳諧も、たまには心のゆとりを持つようで、実は私の同郷の方で俳諧の先生がいたのだ」と松田は言ってさらに続けた。

「正確には,、先生は北信濃だから隣国というか、それでも私のいた村から歩いて一日もかからないところの出身で、小林一茶という方でな。わたしより6つ程年長の方だが、江戸にいる時に知り合った。私も、今まであまり風流というのに疎かったが、江戸で、いろんな人とあって、少しずつ変われたような気がする」と松田は静かに言った。

「俳諧の方ですか。江戸にはいろんな方が集まりますな」林蔵も江戸での滞在を思い出しながら懐かしくなった。

「すまんな、これから北へ行って益々遠くなるのに、こんな話をしてしまって」と松田は言ったが、林蔵は微笑んで返した。

「そんなことはありません。うまく言えませんが、江戸での生活があったからこそ、この秘境での暮らしでも楽しさを見出しているのでしょう。また、うまく帰着したら、たぶん江戸に慣れながらも、今度は蝦夷や樺太での事を懐かしがるかもしれないですが、、、。松田様も江戸にずっといるわけじゃなく、蝦夷や樺太にも移動され、余計に短い江戸での暮らしが充実されているのでしょう。というか充実させようと言うお気持ちが益々わいてくるのでしょう。互い、こうやって田舎の出身ながら江戸にでて、そして蝦夷や樺太までも来ている。生まれてから、ずっと江戸の中しか知らない人より幸せなように感じます」

「うん、そうかもしれぬ。だから、江戸の人たちは、今度は箱根の関所を越えてお伊勢参りをしたり、近くなら伊勢原の大山への参拝だとか、何か口実を設けて江戸の外へ出たがるものかもな。小林殿も、以前、お若い頃、江戸へ出ながら俳諧の修行のため、四国や九州等、西国をかなりまわったとか。もっとも、いつも順風なわけではなく、路銀が足りなくなって、乞食のようなことをされたようだが、今は江戸におられると思う。確か、五十路になったら田舎でのんびり暮らしたいともおっしゃっておられたが」
 
 西国をかなりまわったという松田様の言葉に林蔵は思わず反応した。
「松田様、小林様も我らと同じ幕府の下役人ということではないでしょうか」

 松田は林蔵の言葉に一瞬驚いたような顔をしたが、笑って答えた。
「林蔵、おぬしはとことん疑いやすい奴だな。小林殿もお若い頃、食っていくために、西国へ隠密の仕事を引き受けたのか?と言いたいのだろうが、私も同じことを思っておる。だがよいではないか。我らも樺太へ行くのは、いわば北への隠密だ。小林殿はすでにその職務を済まされ、江戸におられる。昔の旅だが、純粋に俳諧を極めようと諸国を廻られたか、俳諧師に化けて幕府の密偵として廻ったかは定かではない。その縁で、私も少しだが、俳諧などを知った。俳諧は短すぎるからか、うまく詠めぬし、出来栄えもよくないから残そうなどと思っていないがね」 松田は言った。
 
 林蔵はうなづいた。そして、話を先程、松田の詠んだ和歌のことを言った。
 「あの和歌ですが、私がいよいよ一人で行くことを思って下さって有り難いですね。春かは、もしかして遥か樺太と季節の春かを引っかけられましたか?」と林蔵は尋ねた。

「うむ、そのつもりだが、あっさりわかってしまうとは、喜ぶべきか、俺の歌がまだ素人の域からでないからか、ははは」と松田は静かに笑ったが、すぐに真面目な表情になって口を開いた。「あと、真面目な話に戻るが、この宗谷も冬になると流氷に覆われるが、北樺太なら、真夏と言っても寒く春のようだったし、樺太が島なら、当然、海が凍るだけでなく、もっと北の海流に乗って流氷が流れてくることも、充分ありうるしな。舟に乗るわけだし、とにかく気をつけてな」と、松田はまた樺太へ単身向かおうとする林蔵を気遣った。

「私より10年も年長の上役、更にそれでもこうやって友として歌にも記して頂き、感謝です。このまま、妻帯もせず、もし亡くなっても兄弟もなく一人です。それはそれで楽なものですが、どこかさびしいところ。松田様と一緒に苦楽を共にできたことはうれしいことです」と林蔵はジーンと感傷的な気持ちになった。

「まあ、私の下手な歌は気にしなくていい。死ぬ覚悟は大切だが、やはり、生きて帰ることを第一に考えないとな。小林殿もまだお一人、ただ、私が最後にお会いした時は、いずれ五十路になるけど妻をめとりたいとおっしゃっておられた。林蔵も帰ったら、そうなれば良いな」と言った。

「樺太でも天気が良ければお月様は見れますね。私が昔、寺子屋で習った漢詩を思い出しましたよ」と林蔵は唐の詩人李白の「静夜誌」を唱え始めた。

「静然月光を見る。疑うらくは是れ、地上の霜かと、頭を上げて山月を見、頭を下げて故郷を思う」
 林蔵がいい声で唱えるのを聞いた松田も、感慨深い表情になった。林蔵は続ける。
「はるか西のロシア人とは全く接点もないのですが、清国人と会えたなら筆談で、今の詩も伝わるでしょう。アムール河の河口で清国人がいたら、何とか交流して情報を知りたいものです」

「大丈夫だ。林蔵。ノテトに行けば、コーニという酋長、覚えているだろ。彼と仲良くするんだ。そして、アムール河まで清国人が来て、うまく会えたら漢字で筆談すればよい。アイヌやニヴフ人を見ろ。ろくに文字を知らなくとも、われわれ日本人や清国人とも会っている。
 ならば、清国人同様、漢字を使う我々にできないことはなかろう。あと、参考になるかどうかわからぬが、この書物、これは韃靼物語という漂流の記録だが」と言って、袂から一冊の小さな本を取り出すと、「我々より150年程、家光公(3代将軍)の頃だが、越前(今の福井県)の商人が西廻り航路を北上して松前に行こうとしたが、途中、難破して東韃靼に漂流した記録が記載されている。探検中、波が荒れたら樺太から東韃靼へ船が流れてしまうこともあるやもしれぬ。この記録を残した商人も、確か韃靼に来ていた清国の役人に漢字で意思を伝えてたら、幸いにも清国の都である北京に連れて行かれ、最後は向こうの船に乗せてもらって長崎に帰国したと書いてある。だから、お前もきっと大丈夫だ!」と言った後、松田は最後に、この書物をやろう、と言って、林蔵を励し別れた。
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作者:福田純也
福田純也
性別:男性
男性

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