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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その三

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その三

一茶は、また続けた「アイヌ人というのは、蝦夷地と、択捉島だけでなく、樺太にもいるようですね。ただ、蝦夷地よりもっと奥の樺太、南北に細長い島とききました。ずっと、奥に奥に行くと、アイヌ人とも違う言葉を話す原住民がいて、もう、畑仕事もしないで、狩猟や漁業で自給自足で暮らしていて、いいかげん北の果てか!とおもったら、さらに、なぜか、長崎に来ている清国人までいるかもしれないとか。奥に行ったつもりが、まだ奥には奥があると、伺いまして、とにかく、驚きましたよ!」と一茶は、興奮気味に話した。

  林蔵は、興奮気味に話す一茶を見て、この人は、幕府の隠密ではないな、と思った。
 どちらでも別にいいのだが、でも、樺太まで行ったことも、すでに松田伝十郎から聞いているなら、向こうでの体験話をしてもいいか、と思った。

 「はい、樺太は、おっしゃる通り、南北に細長い島です。まともな道もほとんどなく、船で、川や海岸を移動して、しかも、私は松田様と別れて、2度行きましたが、2度目は、凍傷にかかりました。この指、少しゆがんでいるでしょう、見てください」と静かに言った。

 一茶はまじまじとその指を見つめながら再び、口を開いた。
「樺太は、やはり大変に寒いのですね。向こうの人は、こんな寒いのに平気なのですか。いや、失礼、平気だから居れるのでしょうね」

 林蔵は答える。「はい、アイヌ人は、凍傷にかかりません。向こうでかかるのは、日本人です。現地の住民が、熊の胆を煎じたものをこの指に塗ってくれましたね、お湯につけた後。それで、だいぶこれでもよくなったのです。少し、曲がっていますけど、きちんと箸も持てるし、筆も取れるし、絵も描けるようになりました。
 奥州や越後も雪国で寒いですけど、度合いといいますか、次元が違いましたね。日本人には蝦夷地もすでに奥州より寒く、雪はあまり降らなくても寒いです。自分は蝦夷で以前に越冬したから寒さに自信があったですが、樺太では、冬にまともな道がなかったので歩いて移動、堪えましたね。死ぬんじゃないかとも思いました」

 一茶は驚いて、尋ねた。「そんな道をよく歩きましたね。どれくらい歩いたのでしょうか。、
ずっとアイヌの村か集落に留まっているわけには行かなかったのでしょうか」

「ええ、2度目の樺太探検は、私の焦りです。2回目ですし、1回目に樺太で松田様と別れて東海岸を測量していて、途中、西側向かおうと9里(36キロ)くらいですが、途中、川を下ったりして、なんとか横断し、途中から西海岸で松田様と合流したこともあり、なんとかなるかと思っていたのですが。夏の樺太でも寒いのに、2回目は樺太をだいぶ奥に入ったら、ひどい寒波でした。そのとき、北部の原住民の集落にいましたけど、そこもあまり食料がないし、自分や連れのアイヌ人たちがいては迷惑と思い、それに、波は荒れていましたから陸を歩いたのです。
ですが、日本と違い、南に行っても、樺太はひどい寒さ、54里(216キロ)を途中、ぽつりぽつりとある原住民やアイヌ人の集落にとまりながらやっと、南部のトンナイというアイヌの比較的大きな集落に着き、助かりました。もし、もう2,3日歩いていたら、凍傷、治らなかったどころか、寒さや疲労で野たれ死になったと思います」
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プロフィール

作者:福田純也
福田純也
性別:男性
男性

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