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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その七

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その七

やがて、夜になり、林蔵は、そのまま商家に泊まる一茶と別れ、またいつか再会しましょうと言って、主人にも礼を述べると、足取りも快調に家に戻った。

 帰路、林蔵は、小林一茶も満足そうであり、会って良かったと思った。あの人はもう50に近づき、隠居して俳諧を極める。俺にはそんな芸はない。でも俺も、幕府のため、俺なりの奥を極めたい。
 下手に妻を娶って家を持つと、昔、択捉で自害した戸田文太夫のように現状維持というか、変に保身を考えて、ことなかれ主義から結局、悲劇な最期をとげることもありそうな気もした。でも、一茶先生の言うとおり、蝦夷地の松前から北に進んだだけでさえ奥地と思う中、樺太よりも更に奥だなんて、俺以外、思っていないだろうな。それに、本当に男が奥まで追い求めるのはやはり、奥様、女かもしれんな。でも、俺には幕命がある。それと、先生が西国の話をされたが、松山は四国、長崎は九州、いつか、幕命でも行ってみたいな、特に、長崎や対馬とか、やはり、異国人がいるなら、交流してみたいけど、他にも役人がいるから、やはり無理かな、と思ったりもした。そして、再び、俺も50で隠居して、ずっと元気で足腰が丈夫だったら、妻を娶りたい、と思いながら足を進めると、あっという間に家に着いた。部屋に入ると、疲れもたまっていたようで、すぐに眠った。

 林蔵は、その数日後、うまく時間が空いたので、今度は、第一回目の樺太出発前にお世話になった測量の大家、伊能忠敬を訪ねた。忠敬は、その頃、幕府天文方の高橋至時の弟子だったが、至時がすでに亡くなっていたので、その後を継いだ息子で天文方で蘭学者の高橋景保に仕え、九州地方を除くほぼ全国の測量をすませていた。

 ちょうど、5月の中旬、梅雨に入り、紫陽花がきれいに咲いていた中を、ゆっくり傘をさして歩いていった。蝦夷や樺太に比べると、雨が多く、初夏の前触れである。寒いのに慣れた林蔵だったが、少しジメジメしたこの季節、あまり得意でない。途中、嫌いな蛇もなんとなく茂みから出てきそう気もしたが、日本に無事戻ったということをまた意識させるような梅雨、そう思うと、必ずしも嫌ではなかった。

 訪ねると、幸い忠敬は在宅で、林蔵の来訪を喜んでくれた。林蔵は、忠敬に、再度、測量について学び、自分自身の測地術を磨きたいと思い、お願いすると、忠敬は喜んで、教えてくれることになった。
 樺太で、自分なりに探検だけでなく、測量もキチンとやったつもりだったが、まだまだ、これも奥が深い、江戸でせっかくの機会、学びたかったのでありがたかった。


 林蔵は、「先生はまだまだお若いです」と答えながらも、伊能忠敬がもう70に近い老齢であることが気になっていた。

「私ももうじき、九州へ参ります。たぶん最後の大仕事になると思いますが、それまでの間、私のところへ来て、よかったらできれば泊りこんでくださらぬか」と忠敬は言ってきたので林蔵は承知しました、と即座に返事をした。

 忠敬は、私ももう60を超えた老齢です。林蔵殿は、まだお若いから後継者になってほしい、そう言っては、林蔵の測量の質問にも、熱心に詳しく説明してくれた。
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プロフィール

作者:福田純也
福田純也
性別:男性
男性

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