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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その三

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その三

さて、乞食が多いこともあって、路上で顔見知りの武士や商人とすれちがっても、目立つこともなければ気づかれることもない。
 そして、夕方になると、橋の下に密かにかくしていた俳諧師の衣服を着て、宿屋に泊まっては、異国船騒ぎでの情報を集めようとした。
 ある日、あいかわらず乞食姿をして歩いていると、ずっと昔、エゾ地測量のために、松前に行った時、つれていった日本人で林蔵にとって唯一といってもいい弟子の松前藩士今井八九郎の姿を見つけた。だいぶ立派になっているが、あれはまぎれもない八九郎だと思うと、乞食姿で、「おい八九郎!」と、よく透った声で、呼んだ。
 まわりは誰もいない。八九郎は、一瞬、乞食から声をかけられ驚いたので、林蔵はすぐに声をかけた。
 「俺だよ。間宮だ、間宮林蔵だ、久しぶりだな、わかるか?」
「え、え、せ、先生ですか、どうして乞食なぞになったのですか」と驚いた。
 「密命をおびているので乞食に化けている。もし時間があれば、今夜でも、旅籠に来てくれぬか。俳諧師をして泊まっているのだよ」
 林蔵は宿名と、俳諧師をしての偽名を言い、場所を教えた。
 「先生、今夜でしたら大丈夫です。参上しましょう」
 八九郎はうなずいた。

 その夜、八九郎は宿の林蔵を訪ねると、また改まって礼をした。
 八九郎は林蔵と別れてからも、エゾの内部の測量を行なっていた。つい最近も、石狩川をさかのぼって支流の調査、測量をしていたとのことであった。
 「それにしても驚きましたね、間宮先生がまさか乞食姿に変装していたとは」八九郎は言った。
 「うん、乞食に化けるのは意外に楽だ。実は、私は江戸でも、たまに草履を脱いで裸足で散歩しているからな。それに乞食ならつかれて路上に座りこんでも誰も怪しがらない。ただ、それにしても、松前にも乞食が多く驚いていたよ」と林蔵は言った。
「やはり奥州で米作が凶作だったからでしょう。最近、多くの農民が内地からこちらに流れてきているのです。何とかしたいですがね」八九郎は答えた。
 「もっと石狩川あたり、あの辺でもいいから、いずれ芋の畑作でもやれるといいな。芋なら夏にでもやれるだろう。もっとも私はその頃、もう生きているかどうかわからないが」と、林蔵は言った。
 「そんな先生はまだお若いではないですか。どうみても30代か、40になったくらいにしか見えませんよ」
 「いや、もう55だ。ただ、ずっと歩き回っているうちに、所帯も持てず悲しいかな、一匹狼だよ。今や幕府にかわれている哀れな狗さ、ふふふ。だが、今回もこうやって英国船がこの近辺に来航していると知り、調査を依頼された。3年前にエゾの厚岸へ確か、松前藩からの報告書によると、八九郎も出陣しているようだが、内容を確認したいのだよ」

 「承知しました」八九郎は答えると、思い出すようにゆっくりと答えた。
 その時の異国船はイギリス船で、松前藩士は上陸してきたイギリス人にみなこわがって逃げただけで、何もできなかったようであった。
 やっぱり松前藩にまかせてはだめか、いやいや択捉島のシャナで幕府の奉行でも逃げたな、あれから30年経ち、結局、何も変わっていない。太平の眠りは深くなりすぎた。本当、こんな時は餓死しそうな奥州の農民の方が、必死で戦うな、もし飯をやると言えば、きっとあいつらは勇敢な兵士になる、と林蔵は思った。

 「よくぞ申してくれた。報告書だと、見事に応戦したとなっているが、やはり、無理なのかもしれぬ。この話はお前からきいたことは決して言わない。安心してくれ」林蔵は頭を下げて礼を言った。
 「本当はもっとゆっくりとお話もしたいとことですが、残念ですね。でも、またよかったら、密命でなく、堂々とでお会いしたいものです。また、私が任務で江戸に出る際、先生も江戸におられれば・・・・」
 「ありがとう。私としては、ほんとの所、もう少しで隠居したいのだがね。ただ、やはり、いつか薩摩に入ってみたい。日本近海に異国船は鯨をとりにかなり来ているが、やはり蝦夷と薩摩は危ない」
 「薩摩ですか。あそこは異国船が来ても、きちんと報告しないかもしれませんね。薩摩の南に琉球もありますし。それに、将軍様と親戚関係にまでなっていますから、幕府も下手に手出ししにくいでしょう」八九郎は言った。

 「薩摩が密貿易をしていることは、幕閣はだれもが感じている。私もいずれははっきりした証拠をみつけたい。それで命をおとすのも仕方ない。密貿易が明るみにでれば、いくら薩摩が70万の大藩でも幕府も何かしてくれるだろう。それでも世はかわるような気がする」と林蔵は自分に言い聞かせているように言った。

 7月、林蔵は江戸へ急いだ。
 もどって老中大久保忠真の下屋敷に行き、帰着のあいさつをすると、大久保から、水戸藩主の徳川斉昭からエゾを我が領土に咥えてほしいとの依頼があったことをきき、半ばうれしくなった。ただ残念!幕閣としてはすぐに受け入れられぬと断ったようである。

 ただ、松前藩では異国船の警備に不安であるし、もっとエゾの事態を調査する必要にかられ、またもや、林蔵に白羽の矢が立った。
 しかも今度は、エゾの巡見の後、西廻り航路の海岸線、奥州、北陸、山陰、九州から四国までの海岸線をこっそりと調査することが任務となった。
 ついに薩摩だ!北の奥のあとに南の奥、つけるところまで突いてやる、これで隠居できればいいな、もういくらなんでも俺ばかり、やらないだろう、とにかく、最後の、そして薩摩へは最初でもある。絶対に領内へ入ってやる。これは東韃靼より難しいかもしれないな。だが、やりがいはある。死んだ小林一茶殿も薩摩だけは無理と言ったが、自分こそは、と心に誓った。
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作者:福田純也
福田純也
性別:男性
男性

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