林蔵と松田は互いにこれまでのことを、くわしく話そうとした。
林蔵が聞くと、西海岸を進んだ松田もかなり危ない目にあったようであった。モシリアから小舟に乗り換えて陸地に上陸しようとしたところ、途中、凶暴そうな原住民が何人か陸地から小舟で現れて、松田の乗った舟の方に矢を射かけようとしたので、一瞬、殺されると思ったとのことであった。ただ、日本の役人の服を着ていたこともあり、開きなおってアイヌ語で、俺は日本人だと船上から叫んだところ、アイヌ語が通じたようで相手も攻撃しようとするのを止めてきたので、共に海辺に上陸し、何とか話をしているうち、この辺りで狩りをしているニヴフ人であるということがわかったとのことであった。相手も当初、自分たちの村に来た怪しい者と思って威嚇しようとしただけだと言う意味がわかってくると、互いだんだんうちとけてきたようであった。松田の月代の毛も少しはえていたが、アイヌ語が話せたことと、それでいて紋付、袴姿で日本刀をさして、日本の役人の格好をしていたことが良かったかもしれんな、と松田は言った。
また、途中、アイヌ語のできる者を道案内として一人雇い、ここから更に北上してノテトに着いた。そして、休憩で数日泊まり、そこから、更に北へ進み、また戻ったところそこに北上してきた林蔵の舟を見つけ合流できたところであった。
「この地の北はどのようになっていましたか。最近の欧州やロシアの探検家による地図ですと、樺太は北の所で大陸に少しつながった半島のようですが…」林蔵は、自分の東海岸での状況を説明した後、一番気になっていたことを尋ねた。
「いや、樺太は島だと思うよ」と松田は答えた。「え!!、島だと言うことはもしかして、ずっと北まで通り抜けができたということですか?」
林蔵は思わず、語気を強めて尋ねた。
「さすがにここからは距離があるし、おまけにひどい向かい風でね、残念ながらそこまではできなかった。私が行ったのは、ここからさらに先のラッカと言う所までだが、そこからは進むことができなかった。ラッカでは濃い霧が立ち込めていたが、それでも対岸にはついに陸地がうっすらと見えた。見た感じ、距離にして3里(12キロ)もないくらいと思う。おそらく大陸の東韃靼だろう。だが、もっと北に行くと、また海が広がっているようだ。おそらく、北方の海が樺太と大陸の東韃靼との間に広がっているみたいで、陸続きとはとても思えない。道案内の現地のニヴフ人に尋ねてみて、アイヌ語を解してだからか、なかなかうまく通じなかったが、、、。それでも、わかったのは、ニヴフ人も夏の間だけはどうやら舟で対岸の大陸へ渡っているようだ。確証は無理だが、あれは島だね」
「私もそこへ言ってみたいです。もう駄目でしょうか」と林蔵は頭を下げて頼んだ。やはり、そこまで行って自分の目でも確認したくなった。万が一、奉行に島だと報告して、実は半島だったら、どうなるか、責任は同行の林蔵にも及ぶのだ。それは納得できない。
松田は林蔵の気持ちも組み、同行することにした。林蔵が現地のニブフ人と何らかのトラブルがあったとして、同じ西海岸にいた自分が逃げたとあれば、やはり困るわけであるのは、松田も充分わかっていた。彼らはただの日本人でなく、何せ徳川幕府の看板を背負っているのだから。
まず全員、ラッカという集落までアイヌ人に漕いでらった船で松田にも同行してもらったが、そこからは一艘の小舟で林蔵は2人のアイヌ人と共にさらに北に進んだ。すでにラッカに着くと、西の方、霧に隠れてうっすらとだが、確かに陸地が見えた!、あの向こうが大陸、東韃靼だな、と林蔵は思った。
林蔵は、測量に関しては松田よりも慣れているし、測量も兼ねて進められるだけもっと奥に進むつもりだった。だが、ラッカより先は、やはり、浅瀬になって進みにくく、対岸の大陸は霧が濃くなるにつれ、やがては何も見えなくなった。
幸か不幸か、樺太の側も岸に人影は全くなく、彼らのほか他には清国人や現地人の舟もなかった。
波の音以外、シーンとした中、林蔵の同行のアイヌ人も舟が海藻に邪魔されて進みづらいし、彼らも樺太の北部のこの辺りまでは来たことがなかったせいか怖がりだし、もうやめましょう、という。林蔵もここから先は無理と思い引き返すことにした。
もっとも、すでに海岸から50間(約90メートル)くらい沖にでている割にまだ水深も浅いようであった。もっと沖にでれば、水深も深いのかもしれなかったが、海藻に邪魔されて、うまく進めないし、波が荒れていて舟が転覆すると命の保証もなかった。
林蔵も、松田の言った通り、視界は霧で遮られているし、長い冬になれば凍る可能性の方が高いだろうから、これはほぼ陸続きだ、と思う人がいても不思議はないような気がしてきた。
(実際、この大陸と樺太の間に位置する海峡は南北に660kmの長さである。だが、樺太と大陸との間で一番狭いところに至っては8キロ(2里)よりもすこし距離の短く狭い場所で、すぐ北に大陸から流れるアムール川の大河の河口よりも狭い。また、海峡の真ん中でも最も浅いところになると水深が8m程しかないから、冬になるとすっかり凍る場所でもある)