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 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その五

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その五

大黒屋光太夫は、自身が全く望むことなく、大自然の恐ろしい荒波のため、まず8ヶ月も漂流して北辺の島に流れ着き、それから、他の部下がたくさん亡くなり、また数名はロシアに残ることになる中、残ったただ一人の部下の磯吉と、伊勢を出てから11年も経ってやっと帰国できた漂流民である。それに比べると自分は、自分の希望でロシアのシベリアよりもはるかに近い樺太に行くのだ。これくらいできなくてはどうするか!と林蔵は思った。でも、凍傷は怖いなぁ、下手すれば足を切断することもあるだろうし。樺太の北は、シベリアみたいかもしれない。とにかく、蝦夷地での時みたいに現地人の真似をすることだと、考えると、彼も、煙草を吸ってふーと息をついた。光太夫は、

「しかし林蔵殿。樺太は、まだロシアでも日本でもない未開の地のようですな」と今度は逆に尋ねてきて、さらに続けた。
「林蔵殿の前に、まだ樺太の奥へ行った人はいないのでしょうか」

「えー、蝦夷の一番北にある宗谷の会所からは、天気のいい日なら樺太が見えるとも聞きましたし、樺太の一番南の白主というところまでの宗谷海峡は、津軽から蝦夷の松前に行くのと大して変わらないようです。主に夏だけですが日本人も、調査のために現地のアイヌ人と共に滞在するようです。ただ、樺太は南北に細長いようで、北辺は未開です。半島か、それとも島なのかもわかりませんが、大陸と陸続きの半島でしたら清国の領土かもしれません。もし清国の役人がいるなら、長崎にも清国船は来ていますし、私も漢字で筆談したいと思います。現地の人こそ、ロシアのことなどももっと詳しいでしょうから」と林蔵は言った。

「とにかく、一番の敵は長い冬の間の集落での寒波でしょう。ロシアでも、天気のいい時を選んで、ひたすらとばしていましたけど、天気の悪い時期なら、ひどい寒波で凍死をしたと思います。実際、イルクーツクにやっと着いたのにすぐ倒れた者もおりましたしな。樺太は、現地人の集落が日本の宿場のようにきちんとあるとは、とても思えませんから。とにかくお気を付け下さい」と光太夫は言った。

「ありがとうございます。しかし樺太よりも北のそんなに寒いところに、よくぞロシア人とはいるものですね。南に移りたいと思わないのでしょうか」

 林蔵は、ロシア人だって人間だ、いくら日本人よりも大きく寒さに強くてもやはり冬でも凍らない港がほしかろう。そうでなきゃ千島のウルップ島と択捉島の国境を平気で破らないだろう。いずれは蝦夷だって狙っているに違いない。林蔵はそう確信していた。

「南へですか。これは私には難しい質問です。ただ、ロシアは、西洋の中では一番東の端にあり、当時、私が謁見した女王のいた首都は壮大な宮殿で、街も立派でしたけど、ここもひどく寒かったです。私が会ったロシア人一人ひとりは、みな親切でいい人ばかりで、なんとか過ごせましたけど、とにかく寒いから、耕地が広くても作物がその分、摂れないのかもしれませんね。それが理由なのかわかりませんけど、ロシアも領土を広げようとしても、西には、他にも強い西洋諸国がいくつもありますから、誰もいない未開な東に東に行ったようですね。南にも、トルコとかいう強い国がありますし。それで、ずっと未開の東のシベリアに向かいながらも、やはり寒いからまた南に行こうと思ったら、今度は清国という大国があって、鍔迫り合いのような戦になったようですが、その後、清国とも2回ほど、互いの国境を決めておりましたね。ラックスマンから聞いた話、当初は100年以上前にネルチンスクとかいう場所、そうこの地図のこの内陸の辺りです。ここで初めて国境を決めて、それから40年くらい経って、今度はキャフタという所、ここですが」と光太夫は、地図のシベリアの南の蒙古(モンゴル)のあたりを指でさすと、「また国境を定めたとのこと、お互い、未開の地の取り合いをしているようですから、黙っていれば、いつしか知らない内に領土をとられることもあるでしょうな」と、少し不安な表情で言った。

 実際、光太夫はロシア首都のペテルスブルグの港において、対トルコ戦の戦線に出征していく大きなロシア兵の行進を見ていた。それに、プロシア(今のドイツ)やオーストリアと組んで、それら三ヶ国の間にあったポーランドという国を少しずつ分割して支配していたことも知っていた。彼が謁見した女王は、彼の前ではお情け深い貴人のようであったが、別の顔だってあるに違いなかった。東のシベリアも厳しい寒さが続き、どこまでも広くはるかに人の少ない集落がぽつりぽつりあるばかり、一番大きな街のイルクーツクでもせいぜい一万人くらいで東の港のあるオホーツクよりずっと内陸、そして、首都やモスクワのような西の大都会よりはるかに遠い。日本はポーランドのような悲劇は、すぐにはならないだろう。だが、それでもロシア軍による本格的な遠征は絶対にない!とは言えなかった。

  もっとも、日本が本州で、本気で戦えば地理的に完全に優位であるが、蝦夷地に関してはいくら近くでも奥州各藩の藩兵は、津軽海峡が冬になれば渡りたくない人が多い。万が一、ロシアからの大軍が冬にきたら、択捉島のシャナどころか、蝦夷地も盗られるような気もした。実に、寒いからと言ってずっと未開のままでいては、知らず知らず海の向こうの大陸から少しずつ自分たちの領土がなくなるようでこれは問題である。
  
 今度は、林蔵が口を開いて言った。「ロシア人が入らないように、うまくやりたいです。実はロシアの船の中身をもっと調べ、そして、日本も同じような船や武器を作る。でも、本格的には付き合わない、これがいいような気もしています。心は日本、でも西洋の者で役立つものはこちらも対抗して少しずつでも作る。これでしょう。それに、日本も人が増えたようですね。新田開発を、九州や四国等、西国を中心に進めて、大権限様(初代将軍家康)が幕府を開いた頃は、奥州から九州まで、48州で一千万人だったといわれていましたが、この泰平の世で、今やとっくに二千万人を超え、三千万人に近づいていると、幕府の報告書にもありました。奥州だけでなく、日本中、みんなで必死で戦えば大丈夫でしょう。あとは、その前に、自分がきちんと北の防備の先駆けになりとうございます」と林蔵は自分自身に言い聞かせるように熱く語った。
もっとも、そう言いながらも、林蔵の脳裏には、今回の択捉のシャナで自害した戸田や副長の関谷のような上層部の腰ぬけぶりも思い出されていた。樺太にロシア人がすでにいるなら、蝦夷だって危ないかもしれないとも思うと、再び不安な思いにかられそうにもなった。
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プロフィール

作者:福田純也
福田純也
性別:男性
男性

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