いつも思いつくと奇抜なことを言っては自分自身を追い詰めてしまい、後になって、そのことが自身の行動の活力になっているようだったが、こんな性格だから狂った奴と誤解されてしまう。また、はじまった!という声を何度、言われたことだろう。
あの時も、戸田に証文を書かせるにしても、直接、大勢の前で言わず、こっそり、自分からでなく、年上で自分より身分も上の御雇医師である久保田様からうまく言ってもらえば、案外、戸田を説得できたのかもしれない。そうなれば、戸田が退却したとしても証文か、そのような何か残る証拠を手にできたかもしれない。
そんなことを思うと、強気な発言をしながらも、自分のこの性格に悩むこともあった。ただロシアへ行くというのは、半ば口が滑ったかもしれないが、われながら良い案であるとも思った。
しかし、ロシアの首都はシベリア大陸のはるか西にある。まともに行けるはずもなかった。
「ロシアの首都はあまりに遠い。それにロシア領内に入れば捕らわれるかもしれないぞ」と、村上は半ば諌めるような口調で言った。
「大丈夫です。乗っていた小舟が風でウルップ島に流されてしまったとか言って、いわば漂流ですね、それで、わざと捕まるのです。確か15年前にロシア船で帰国した大黒屋光太夫殿は、最初、北のカムチャツカから更に奥の小島まで流れたというではありませんか。そこから、ロシア人と共に大陸に渡って、現地の学校で日本語を教えて、さらに帰国の許可をもらうためにはるか西の首都まで行って向こうの女王に謁見したというではおりませんか?
私は当時の光太夫殿より若く、また寒さにはだいぶ慣れて今は身体も丈夫です。そして向こうに無事につきましたら、自分は蝦夷地でアイヌ人に日本語を教えていた教師だと言うのです、これは本当のことでもありますから、向こうも信じます。そうなれば、ロシアからもおそらく日本語をロシア人に教えることを依頼されるでしょうけど、その間にこちらもロシアという国を探るのです。私は、絵を描くのも得意というか、好きですし、慣れてますから、向こうのことをいくろか描けると思います。仮に、首都まで行けなくても、カムチャツカにも、ロシアの船が停泊している港もありますし、昔、蝦夷でアイヌのことを調べたように、今度はロシアのことを探るのです。数年後、ロシアが日本と通商したいと言って、私を連れて、長崎に来航するかもしれませんけどね」林蔵は、半ば自身の興奮を抑えながらも一気に話した。
村上は林蔵のあまりにも大きな発言に驚きを隠せなかった。本当、林蔵は林蔵だ!江戸で厳しい吟味を受けて遠島や、下手すれば死罪だって絶対にないとは言えないわけだから、こんなことを言い出すのかもしれんと思うと、気持がわかるような気がしてきた。
「うむ、お前の気持ちはよくわかった。西洋の国であるロシアまで行くことを、幕府が許可するとはとても思えないが、お前のその何としても幕臣としての汚名の挽回という気持ちはよくわかった。お前のアイヌ語の知識や測量技術、何とか活かすことができないか、もしできるなら、私からも嘆願をしてみよう」と答えた。
林蔵は村上にお礼を述べ旅籠を出ると、帰路、ロシアへ行くことを改めて反すうした。
戦いを避けて、臆病者として処罰されたり、馬鹿にされるなら、いっそ、命をかけてロシアに忍び込んでみたくなった。その夜、ろうそくの灯りの下で上申書をしたためた。書けば書くほど感情が高ぶり、涙が目からにじんだ。涙がにじんだ顔を手鏡で見て、なぜか、うっとりする自分がいる。しまいには、嗚呼、俺って!なんてかっこいいんだろ!、と思ったりもして、泣きながらも、終いには笑いまででる。もともと、二枚目の俺だが、いざ命をかける男は、白粉をしなくたって歌舞伎役者なんかよりもかっこいい。絶対、奉行の役人は驚くだろうな、だが、おめおめと処罰を受けるなんて絶対できない。ロシアに行くのは実は内心、ここから逃げたい気持ちもあったけど、一か八かだ!、びっくりさせてやる!
ロシアの本国に入り、首都か、シベリアの都市や港でもいい。それで、日本語を教えながらも、向こうの国情を調べて幕府に報告してやらぁ! 漂流民と言っても、実際、帰国した光太夫殿以外の乗組員は、漢字も山や川くらいの簡単な字くらいしかできない、あとはひらがなやカタカナしか読めないような船乗りや漁師だったらしいし、それでも、ロシアで日本語を教えていたと言うなら、俺はそいつらより漢字はずっと書けるし、アイヌ語もできる。それに、漢文もある程度なら読み書きできるから、うまくいけばロシアでもっと重宝されるかもしれない。日本語を習うロシア人ともなれば、向こうでも下の奴らはろくに字も書けないというならありえないだろうから、きっと教養のある身分の高い奴らだろうし、ならば、よけいロシアのことを探れるというものよ!
あと、林蔵は、師の村上にも言えなかったが、そもそも長崎で通商条約を半年以上、ロシアの使節レザノフを待たせて、結局結ばなかった幕府にも疑問や憤りを感じていた。
ロシアが来るのが怖くて通商したくないのならハッキリと早く言えばいい、それとも利益になるならぐずぐずしないで貿易をやった方がいいかもしれなかった。それならそれで、きちんと国境を定め、江戸への入港は断り長崎はオランダ出島、ロシアには根室や函館だけと、決まった場所だけやればいい。李氏朝鮮とだって、長崎とは別に、対馬藩が間に入って貿易しているじゃないか。確か、当初は、朝鮮人参を輸入して、それから日本で国産の人参を作ったら輸入の量も減ってきたという。蝦夷地のアイヌ人とだって物々交換だが貿易してるし、ロシアともちょっとくらいやって、それこそ、向こうの最新の武器を買っても良いんじゃないだろうか。そして、こっそり、それを日本でも生産すれば、次に来たときは、十分、防御にだってなるじゃないか!
今度、俺が日本の漂流民としてロシアから帰国される際は、ロシア船の船長には長崎なんかに入港するな!、行くなら江戸湾に行け!と言うだろう。そうすれば、幕府ももっと異国船の事を真剣に考えるかもしれないという気がしていた。
実際、林蔵が択捉島に行った頃は、ロシア船以外にアメリカという新しい国の船も江戸近海を通ったし、またイギリスの船も彼がまだ小さい頃、20年程前に仙台沖を通っていた
(実はこの船は18世紀、太平洋中を探検したイギリスの有名な探検家ジェームス・クックの第3回目の船団であった。クック自身は、探検中、ハワイで原住民に殺害されたが、その後、船団は、ハワイから北上してベーリング海を抜けて北極海から帰国しようとする。だが、凍った海を通れないことから、舵を南に変え、太平洋を南下しインド洋を通って帰国した。その際、仙台沖から日本列島に沿うように太平洋を南下していた)