忍者ブログ

 林蔵、奥の道未知!をいく

 江戸時代の探検家、間宮林蔵を題材とした小説です。

その四

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

その四

だが、商家での食事が、彼をまた不愉快にさせた! 実は、林蔵は魚介類が苦手であった。というか、彼の実家は海から遠く、また、小さい頃から地元の小貝川の川魚が口に合わず食えないことから、江戸にでてからも魚はまるで食べなかった。
 江戸でも、赤貝、シジミといった小さな貝を扱ったしじみ売りの行商人が、家の近くまできていたので、時々、シジミ汁にして啜っていたことがあったが、魚は高価で、江戸の庶民も豊かな商人や大名、旗本ならともかく、いつも食べれるものではないし、魚が嫌いだった彼は、代わりにまだ安い納豆や豆腐をよく食していた。江戸時代ということで、飲酒に年齢制限もなく、未成年の頃から飲酒をし、酒の肴に豆腐や野菜を食べていた。
それが蝦夷地では、引越ししたら、いきなり鮭の塩味の焼き魚がでた。嫌いな林蔵は参っていたが、それでも主人から忠告を受けた。「魚はアイヌも食べる。現地のアイヌ人は皆ロクに野菜がなくても元気なのは魚を食べているからです。川の魚とは違うし、食べてみると意外とうまい魚もあります。酒の肴(さかな)ともいう!よかったら食べてみることです」と言われて、酒で流し込むように鮭の身を小さくしたモノを飲み込むことからはじめていった。

  最初だけは我慢しながら口に入れた。良薬は口に苦しとも言うし、薬食いという感じであった。
 薬食いとは実際、本土でも魚のことでなく、本来、日本人には「四ツ足」として忌み嫌われた獣肉を食べることを言った。身体の滋養のための薬だから、特別に食べるという意味で薬食いと言った。山の鯨といって食された猪の肉や、跳ねるから鳥のように一羽、二羽と数える兎の肉等を食べたが、大変においしかった。林蔵もこの「薬」なら、冬の江戸で何回か食べたことがある。
 それら、獣肉を初めて食べた時、意外と美味しく、酒もすすんだことを思い出しながら、塩鮭を食べているうちに、意外と身体になじんでいる感じがしてきた。魚の卵は最後まで馴れず、飲み込むことしかできなかったが、これは、川魚でない、塩味の!海の魚は違うと自分に言い聞かせながら食べていると、魚を食べる時は、醤油や塩をつけて酒を飲んでいるうちに、逆に好物になっていった。
 
 年が明け、享和3年(文化元年、今の1804年)になった。この年は、はるか西のヨーロッパでは、ロシアとも戦っていたフランスのナポレオンが皇帝になった年でもある。そんな中、極東の日本内地はまだ太平の眠りにあったが、蝦夷ではすでに北辺の警備に、奥州からの藩兵が常駐していた。

 だが、雪国出身で寒さに強いはずの彼ら藩兵たちも次々と重病になり箱館に送られてきた。
 林蔵は、というと、アイヌのように魚を積極的に食べることが幸いしたのか、足のむくみが薄れ、血色もよくなったような気がしてきた。鮭はうまい薬だ!、と感じた。 現地の町医者(漢方医)に一度尋ねてみたが、むくみの原因はよくわからないようであった。ただアイヌのまねをすることがよかったようであった。
 
 どうしてむくみがでるのか。日本人は現地アイヌ人と違うからとも思ったが、同じく寒い奥州から蝦夷地に来た武士でさえもむくみに悩まされた。アイヌは和人から輸入した白米を炊き、彼ら自身で作ったトノトという稗(ひえ)から作る濁酒や、和人との物々交換で得た日本酒やお茶を飲んだりもしていたが、蝦夷で取れる野菜や茸を取り、普段必ず狩猟で得た魚や昆布、鳥や、鹿や兎などの獣の肉をとり、時にはヒグマを食することもあり、米食中心というか、漬物にたくさんの米を食べる日本人とだいぶ違っていた。蝦夷地のアイヌの人口が、各地に集落があるとはいえ、内地に3千万人もいる日本人よりはずっとずっと少なそうだから、いくらでも狩りや漁業ができるのかもしれないが、この寒い蝦夷、さらに一部はもっと北の樺太、千島列島でも、足のむくみも無く生きているようであった。
 
 林蔵が実感したことは、郷に入れては郷に従えで、とにかくアイヌの真似をしようと勤めていた。それで駄目なら仕方ないという開き直りもあった。寒さに強いのはアイヌの衣服も関係あるような気がしたので、アイヌの家に行っては交流して、アイヌの服を着るようにもなった。
 
 そうなるとやはり言葉の壁があることを痛感させられた。その頃、林蔵はすでに師である村上島之充から、アイヌ語辞典を入手していた。以前、択捉島まで探検した最上徳内が編集したものでメモのような小さいモノだったが、アイヌ人の集落に行くときは必ず携えて、話をするようにした。
 
 また、箱館にはアイヌ人との交流があるから、アイヌ語の通詞(通訳)をしていた人がいた。林蔵はその人の屋敷にも訪れて、必死に勉強した。ここは蝦夷だ!、奥州とも近いがまるで違ういわば外国だと意識して短期間で覚えたことから、アイヌ語通詞だった人は、その熱意に打たれて、アイヌの狩猟、漁業、衣服、熊祭りなど伝統的な行事等、林蔵の質問に応じて詳細に答えてくれた。 アイヌ語に慣れることと思って、辞書を引き、どんどんアイヌ人に話しかけていくうち、間違っていたらまた言い返したり、また農業の指導のため、アイヌの家に一人で酒を持参しては食事を一緒にしたり、時には家に泊まらせてもらうようになった。

 まだまだ彼ら同士の会話だと早口だったこともあり、理解しにくかったが、半年もしないうちに、アイヌ人との会話も、彼自身もまだ若かったからことも幸いしたのか、めきめきと上達していった。
PR

コメント

プロフィール

作者:福田純也
福田純也
性別:男性
男性

最新記事

(12/31)
(03/18)
(03/14)
(03/12)
(03/11)

P R